文学 の検索結果:

源氏物語は不道徳?

…折している人、世界的文学と評価されているのに、作品のすばらしさがわからないのは悔しいと思っている人、つまり僕のような人間が読むのにふさわしい本かもしれない。 筆者は「はじめに」で、「『源氏物語』に潜伏しているさまざまな脈絡」に気づき、『源氏』を楽しんで読むために、「なぜ」「どうして」という問いかけを多くしたと言っている。目次を見ると、 「源氏物語って不道徳な話なの?」 「似た人を好きになってもいいの?」 「嫉妬に狂う女は嫌われる?」 のような見出しが並ぶ。もちろん、著者はいず…

歴史としての現代短歌

…か、その歴史を記述しようとするこころみ。その期間、重要な働きをした歌人たちと編集者(中井英夫)にぐっと近寄ってその言動を活写することで、それぞれの人物像を浮かび上がらせるとともに、互いの関係に目配りすることで、ひとつの歴史として現代短歌をとらえることに成功している。「歴史」は記述されて初めてこの世に存在し得るという当然のことが、文学史についてもあてはまることを実感させてくれる本である。 またこれは、短歌の世界の外に身を置く、関川夏央という一読者の、短歌受容史としても興味深い。

テキスト読みの可能性

…みとエピソード読み。文学教材の理解に至る通路としてどちらを取るかは考えどころである。もちろん、どちらかだけを採用することはあり得ない。作品に応じて、両者のバランスを取りながらアプローチしていくのが、教室での普通のやり方である。しかし、僕はほとんどの場合テキスト読みに重点を置きながら授業を進めるよう心掛けている。というのは、まずは作品そのものと向き合わねば話にならないからだが、実際のことろ、特に短歌・俳句の鑑賞のような授業の場合、生徒はともすれば周辺情報の収集に頼りがちな傾向が…

マティス展

…。 …日本人は絵画に文学的、哲学的感動を求める。アンケートによれば、人気があるのはゴッホを筆頭に、「落穂拾い」のミレー、ルノワールなど。対して、マティスは装飾的に過ぎる、人間性に欠けて胸を打たないなどの理由で不人気である… と言っても、これは『カンヴァス世界の名画15マティス』(中央公論社)という昭和50年(1975年)発行の画集に収められているのだから、書かれてから半世紀ほどが経過している。この間、日本人の絵を見る眼はかなり変化しているはずで、マティスの人気度も大きく変わっ…

励まさない

「文学国語」の教科書(東京書籍)に、若松英輔という批評家の「言葉を生きる」という文章が載っている。その中の一節。 悲しむ者をいたずらに励ましてはならない。そうした人々が切望しているのは安易な激励ではない。望んでいるのは、涙がそうであるように、黙って寄り添う者ではないだろうか。更に言えば、励ましとは、頑張れというような一方的な言葉をかけることではなく、容易に言葉になろうとしない相手の感情を写し取ろうとすることなのではないだろうか。語られない励ましが、かえって深く人を癒やすことも…

愛💛の言葉

今、鎌倉文学館に入館するとすぐ、「おみくじやってまーす、どうぞ」と言われる。バレンタインデー&ホワイトデーにちなんだ企画で「文豪愛の言葉おみくじ」というのだ。 僕がひいたのはこれ。 先ほど読んだ小説の登場人物も、ちょうどおみくじに使えそうな「愛の言葉」を口にしていた。山川方夫の「軍国歌謡集」より。まずは、主人公の友人で、愛の必要と可能性を信じて疑わない大チャンのことば。 「おかしなもんです。人間はね。人間であるためには、かならずもう一人の人間を必要とするんですよ。そこに愛が生…

撓む本棚

…教員が、「白洲正子は文学がわかっていない」というような意味のことを言ったのがずっと頭に残っていて、そのせいだけではないと思うのだが、授業の準備をしていても、白洲正子の著作にあたるということは今までなかった。今回初めて白洲正子の本を開いたのは、授業のためではない。鶴川に武相荘(旧白洲邸)という建物があって、美術館として公開されていることを知って興味を持ったのだが、どうせなら一冊、手始めに何か軽い物でいいから読んで行こうと思って買ったのがこの本だ。「会えずに帰る記」というのは小田…

光源氏の「耐える能力」

…ブ・ケイパビリティの具現者だったのです。この宙吊り状態に耐える主人公の力がなかったら、物語は単純な女漁りの話になったはずです。 確かに、光源氏は物語のごく初期の段階で、藤壺と関係を持ってしまう。そのことによる罪の意識を抱えながら、ある種、宙ぶらりんな状態に耐えつつ、延々と生きていくのだ。 「あはれの文学」「をかしの文学」という言い方があるが、「あはれ」はネガティブ・ケイパビリティと、「をかし」はポジティブ・ケイパビリティと対応するのではないか、などと思いついたが、どうだろう。

古代の天皇の仕事

…んだ。丸谷才一「日本文学史早わかり」。 「万葉集」の巻第一の巻頭歌、雄略天皇の 籠もよ み籠持ち … この岡に 菜摘ます子 … と、それに続く舒明天皇の 大和には群山あれど とりよろふ天の香具山 … は、高校生のときに習ったような気がするし、また自分がまだ若い教師だった頃に教えたような記憶もあるが、いったいどういうことを教わった、または教えたのだろうか?この二首の歌について、丸谷才一は次のように言う。 天皇が豪族の娘に野外で言ひ寄るところを写したほとんど儀礼的な恋歌と、国見歌…

芸術としての私小説

…いた、伊藤整の『改訂文学入門』(光文社文庫)を読んだ。本書は、「あとがき」に「私は、近代日本文学、特に私小説とヨーロッパ文学とを同時に満足させうるところの、芸術の本質はなにかということを、追求した。」とあるところからわかるように、私小説を肯定的に位置づけようとした点に特色がある。私小説を芸術として位置付けるために、著者が考え出したのは芸術の本質的な働きとしての「移転」だ。芸術における「移転」とは何かを簡単に言えば、たとえば林檎のいろいろな性質の中から、色と形の美しさだけを取り…

文学部のスロープ

…しい思い出に浸る。「文学部の長いスロープを校舎の方に上りながら」なんて一節に出会うと、ああ、僕もあの緩い上りのアプローチを通って教室に向かったんだよなあ、と、40年も前のイメージを鮮明に思い浮かべる。 空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書) 作者:北村 薫 東京創元社 Amazon ひとコマ目、つまり第一時間目に授業のある日は、これは辛い。高校の始まりより早くなって、おまけにお隣の県からよいしょよいしょと東京まで出かけて行くのだからまいってしまう。一年生の途中までは…

別嬪ではないが

日本文学100年の名作 第6巻 1964-1973 ベトナム姐ちゃん (新潮文庫) 新潮社 Amazon 木山捷平の「軽石」は、ほんわかと心が温まるいい話。主人公の正介のちょっと変人寄りの人柄も好ましいが、「もともと別嬪でないのは承知でもらった」というその妻のおおらかさも素敵。二人のやり取りは、読者の微笑を誘う。 魅力的な妻と言えば、野呂邦暢の「鳥たちの河口」の主人公の「男」の妻も、登場場面は少ないが印象的。ラストシーンの二人の会話は、切ない。 【収録作品】 川端康成「片腕」…

自分を映し出す鏡

日本文学100年の名作 第8巻 1984-1993 薄情くじら (新潮文庫) 新潮社 Amazon 最後の作品、というせいもあるが、北村薫の「ものがたり」が一番印象に残った。そして、疑問が残った。疑問は自分の不注意のせいかもしれない。何度も読み返したが、やはり自分の知りたいことは、直接は書かれていない。 耕三が、受験のために上京し、自分たち夫婦の家に泊まっている茜(妻・百合子の9歳下の妹)と顔を合わせるのを避けたのは、そもそも危険な「運命」への「予感」があったからなのか? そ…

最後の一行に鳥肌が立つ

日本文学100年の名作 第7巻 1974-1983 公然の秘密 (新潮文庫) 新潮社 Amazon 『日本文学100年の名作 第7巻』(新潮文庫)を読んだ。目利きによる厳選だけに、収録作品はどれも質が高くて、満足度も高い。初めて読む作家も数人いるが(神吉拓郎、李恢成、色川武大)、おそらくどれもその作家の個性と魅力を存分に発揮した作品と言えるのだろう。ベスト・ワンを選ぶとしたら、藤沢周平。これは最後の一行で、ぞくっと肌が泡立った。それにしても間の抜けた話なのだが、10巻、9巻と…

茂吉の万葉愛

…ものであった。それには志那文学や仏教の影響のあったことも確かであろうが、家持の内的「生」が既にそうなっていたとも看ることができる。 わが宿のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕べかも 同小竹に風の渡る歌は既に人麿の歌にもあったが、竹の葉ずれの幽かな寂しいものとして観入したのは、やはりこの作者独特のもので、中世紀の幽玄の歌も特徴があるけれども、この歌ほど具象的でないから、真の意味の幽玄にはなりがたいのであった。 このほか、あちこちに線を引いて読んだ。また読み返すことがあるかな…

焚火とアイロン

日本文学100年の名作 第9巻 1994-2003 アイロンのある風景 (新潮文庫) 発売日: 2015/04/30 メディア: 文庫 村上春樹の「アイロンのある風景」は、読み手をあっと言わせる展開もなく、泣かせる場面もなく、収録作品の中では一番地味な作品、印象に残りにくい作品と言えるかもしれない。しかし、焚火やアイロンが何を象徴しているのか、とか、焚火の炎を見つめる三宅さんはどういう哲学の持ち主なのかなどと探っていくと、これはなかなか興味深い作品なのではないかと思われてくる…

第10巻から読み始める。

…書室で借りて、『日本文学100年の名作 第10巻』(新潮文庫)を読んだ。 日本文学100年の名作 第10巻 2004-2013 バタフライ和文タイプ事務所 (新潮文庫) 発売日: 2015/05/28 メディア: 文庫 伊集院静、木内昇、道尾秀介、桜木紫乃、高樹のぶ子、山白朝子、辻村深月、伊坂幸太郎、絲山秋子…読んだことのない作家が並んでいるが、どんな作品を書く人たちなのだろうと、興味が湧いたのだ。道尾秀介、辻村深月、伊坂幸太郎は高校生にもよく読まれているんじゃなかったか。図…

小説について書かれたものを読むことの楽しさ

…でいるのだ。(戯作者文学論) 彼の作中人物は学生時代のつまらぬことに自責して、二、三十年後になって自殺する。奇想天外なことをやる。…自殺などというものは悔恨の手段としてはナンセンスで、三文の値打ちもないものだ。(デカダン文学論) 堕落論 (角川文庫) 作者:坂口 安吾 発売日: 2012/10/16 メディア: Kindle版 現代文Bの授業で「こころ」を読む授業が終わったが、生徒たちは「先生」の自殺をどう受け止めただろう。年が明けてから提出してもらう感想文が楽しみだ。(4ク…

古本をつまみに飲む

ビブリオ漫画文庫 (ちくま文庫 や 50-1) 発売日: 2017/08/07 メディア: 文庫 僕には、ここに収録された作品のすべてが秀作であるとは感じられない。しかし、「古本屋台」はなかなか魅力的(原作:久住昌之、画:久住卓也)。古本満載の屋台で飲む焼酎のお湯割りは美味いだろう。一杯しか飲ませないオヤジが渋い。 久住昌之原作の漫画は、以前も読んでいる。→散歩文学 - 僕が線を引いて読んだ所

「創造」としての「鑑賞」

…わち創造」とあるが、文学作品の鑑賞、とりわけ俳句の場合は読者に「創造」力が求められる。たとえば、橋閒石の句、 柩出るとき風景に橋かかる の場合。筆者は、この橋を「柩出しのときに、死者のために虹のように架かる彼の世への橋」とも、「柩を運ぶ一族が渡る現実の橋」とも解釈できると言い、「読み手はどちらの世界に遊んでもいい」という。俳句は読み手によって解釈に幅があり、その幅の中で「遊ぶ」喜びこそすなわち「創造」する喜びなのだ。俳句の場合、読み手の多くが実作者でもあるという事情にも、それ…

幻の名作?

…いない。しかし、「幻の名作」というような評言(裏表紙にそう書いてある)が妥当なものであるのかは、疑問の残るところである。現代の読者の多くが「文学」あるいは「小説」に求めるもの(それは人さまざまだろうが)が、ここにはあるだろうか。 小説は、娯楽で良い。幸福なひと時を過ごさせてくれさえすればそれで良い。しかし一方で、複雑な時代をよりよく生きていくための支えであってほしいとも願う。そんな僕にとって、ここで出会った作品群は、どちらの点でも少々物足りないと感じてしまったのは事実である。

文章家、つげ義春

…ていた岩崎稔氏に井伏文学を教えられ、魅了される。 1967(昭42)年 30歳 井伏文学に影響され、しきりと旅行をするようになる。唯一の友人、立石氏と能登、飛彈、秩父、伊豆、千葉等へ遊ぶ。 秋に単独で東北へ大旅行する。旅の強烈な印象をもつと同時に湯治場に魅かれる。旅に関連する本や、柳田国男、宮本常一などを好んで読む。 文章家としてのつげ義春は、こうした豊富な読書体験を肥やしに生まれてきたに違いない。もっともっと書いてくれないかなあと思う。 つげ義春コレクション 苦節十年記/旅…

人間の真実を描く掌編小説

…選』(上・下) 日本文学の精華を集大成したという趣の二冊だが、面白い作品を集めてみたらこうなりましたではなく、それらの作品群を貫いて一本の筋を通そうという編者の意図が強く感じられる。つまりは大西巨人という人間の個性が強く前面に表れたアンソロジーである。作品の多くは、人間が秘め持つ暗部を容赦なく炙り出すといった体のものだ。美とか、感動とかではない、人間の負の側面に光をあてたような作品が多いと感じる。人間の真実から目をそらすな、というのが編者が通そうと意図した一本の筋であると、僕…

作者の意図と鑑賞の自由

…そこには学燈社の『国文学—解釈と教材の研究』のバックナンバーがぎっしりと詰まっていたのでした。僕はその宝の山の中から、すぐに目的の一冊を見つけ出すことができました。 というのは、前々回も、前回も取り上げた『紺の記憶』の話にまたなるのですが、その中の「名句とは」という文章の冒頭で、飯田龍太は、「こと俳句に限って、ここ一か年間のうちで、示唆に富むもっとも興味ふかい記事は、「国文学」(学燈社刊 平成3年11月号)の座談会「名句とは何か、鑑賞・批評とは何か」であった。」と書いているの…

絵の授業を俳句の授業のつもりで聴く

…とだろう。温故知新。文学でも、音楽でも。筆者は、文学の古典からも学んで絵に生かしている。 松尾芭蕉が随筆「笈の小文」で述べた「風雅におけるもの造化に従がひて四時を友とす」。この「造化」に私は目を留めました。「造化」とは、水が流れたら流れたその形そのものに美を見だそうとする考え方です。また紀貫之の『新撰和歌集』の中の「花実相兼」は、内容と表現が完全に一致したときに、完璧な作品が生まれる、ということです。 (122㌻) そもそも俳句における「写生」は、正岡子規が絵の世界から借りて…

「巣作り」としての文学

文学 (ヒューマニティーズ) 作者:小野 正嗣 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2012/04/27 メディア: 単行本(ソフトカバー) 小野正嗣の『文学』は比喩に満ちている。 文学という営為は言葉によって巣を作るという行為に似ていると書いた。しかし、くり返しになるが、この巣は作っている本人にとっても、それを共有する者たちにとっても必ずしも居心地のよいものではないようだ。いや、もちろん歓喜や快楽をもたらしてくれはする。でも気づけば、不安の地下水はたえずしみ出してきて喜…

俳句を口語訳すること

…池澤夏樹個人編集日本文学全集』の第29巻「近現代詩歌」においても、すべての句に口語訳をつけることを方針としている(一部省かれている句もあるが)。その「選者あとがき」にはこうある。 名句を口語訳してみるということは、正確に句ができてきた道筋をほどいてみるということである。 確かに示された口語訳は、文語から口語への機械的な置き換えで終わってはいない。口語訳に際して、訳者はその句と能動的に向かい合う。その結果から読み取れるのは、「句ができてきた道筋」というよりは、「訳者がその句をど…

中島敦展

神奈川近代文学館で開催中の「中島敦展―魅せられた旅人の短い生涯」を観て来た。 「文芸ストレイドッグス」なるものの影響か、いつもより若い女の子が多いような気がした。会場に用意してあるワークシートに記入して売店で見せると、その文芸ストレイドッグスのイラスト入りのクリアファイルがもらえる。僕も若い女の子たちに負けじと、せっせとワークシートに答えを書きながら、真剣に展示を観て回った。 今回の展示は、なかなか面白かった。その要因の一つは、中島敦が南島での生活を経験していることにある。中…

目の前にあるのは

…個人編集による『日本文学全集』の第29巻は、「近現代詩歌」。その中の俳句を拾い読みしている。俳句の選者は小澤實。明治、大正、昭和の俳人50人を選び、その代表句を5句選んで口語訳と解説を加えている。 この解説は文字数約180、大岡信の『折々のうた』の新聞掲載時の文字数と同じだ。(岩波新書では加筆されてやや長くなっている。)小澤實は大岡信の仕事を意識しないわけにはいかなかったのではないか。 ふと、両者を較べてみようと思い立った。山口青邨の 玉虫の羽のみどりは推古より はどちらにも…

太宰治と三島

何年か前、文学散歩の仲間と三島の街を歩いたことがある。桜川という川に沿って文学碑が立ち並んでいるところがあって、その時の写真を見ると、井上靖、大岡信、芭蕉、子規などの作品を彫った句碑、詩碑が多数立っていることがわかるが、その中に太宰治のはあっただろうか? 写真には残っていないし、記憶にもない。しかし、実は三島は太宰治とも縁が深い街であることを最近知った。 太宰中期の短編「老ハイデルベルヒ」は三島を舞台にした作品で、冒頭はこうだ。 八年前の事でありました。当時、私は極めて懶惰な…