小説について書かれたものを読むことの楽しさ

漱石の『こころ』と言えば、高校の現代文の教科書中の定番であり、名作中の名作のように崇め奉られているのだが、坂口安吾の手にかかってはひとたまりもない。

私はこの春、漱石の長編をひととおり読んだ。…私は漱石の作品が全然肉体を生活していないので驚いた。すべてが男女の人間関係でありながら、肉体というものが全くない。痒いところへ手がとどくとは漱石の知と理のことで、人間関係のあらゆる外部の枝葉末節に実にまんべんなく思惟がいきとどいているのだが、肉体というものだけがないのである。そして、人間を人間関係自体において解決しようとせずに、自殺をしたり、宗教の門をたたいたりする。…漱石は、自殺だの宗教の門をたたくことが、苦悩の誠実なる姿だと思いこんでいるのだ。(戯作者文学論)

彼の作中人物は学生時代のつまらぬことに自責して、二、三十年後になって自殺する。奇想天外なことをやる。…自殺などというものは悔恨の手段としてはナンセンスで、三文の値打ちもないものだ。デカダン文学論)

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

 

 現代文Bの授業で「こころ」を読む授業が終わったが、生徒たちは「先生」の自殺をどう受け止めただろう。年が明けてから提出してもらう感想文が楽しみだ。(4クラス分の感想文を読むのは大変だけど…)
先生は「遺書」の最後に、「私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。」と言っている。「あなた」と呼ばれる若者が「先生」より一回りくらい年齢が若いとは言え、現に同じ時代を生きているにもかかわらず「先生」の自殺を理解できないとしたら、今の高校生が理解できないのは当然のことだ。「先生」の自殺は問題の解決にはならず、「お嬢さん」を苦しめることにしかならないという批判が出てきてもおかしくないし、それが『こころ』という作品自体の批判につながっても良い。賛同、拒否、様々な読み方が許されるからこそ、定番教材なのだ。(芥川の「羅生門」も、鴎外の「舞姫」も、同じことが言えると思う。)


今回、授業の最後にこんな本を紹介した。 

夏目漱石「こゝろ」を読みなおす (平凡社新書)

夏目漱石「こゝろ」を読みなおす (平凡社新書)

  • 作者:水川 隆夫
  • 発売日: 2005/08/01
  • メディア: 新書
 

これは「こころ」の多様な読みの可能性を教えてくれる良書だ。作品の流れに沿って重要な論点を拾いつつ、様々な解釈を紹介してくれる。その上で、筆者の穏当な読みが示される。高校生には最適の参考書だと思う。

高校生には小説を読む楽しさの他に、小説について書かれたものを読むことの楽しさを知ってもらいたい。