マティス展

渡辺淳一が「日本的不遇の作家・マティス」という文章の中で、マティスが日本においていかに人気がないか、それはなぜなのかについて書いている。

…日本人は絵画に文学的、哲学的感動を求める。アンケートによれば、人気があるのはゴッホを筆頭に、「落穂拾い」のミレー、ルノワールなど。対して、マティスは装飾的に過ぎる、人間性に欠けて胸を打たないなどの理由で不人気である…

と言っても、これは『カンヴァス世界の名画15マティス』(中央公論社)という昭和50年(1975年)発行の画集に収められているのだから、書かれてから半世紀ほどが経過している。この間、日本人の絵を見る眼はかなり変化しているはずで、マティスの人気度も大きく変わっているはずだ。

今日、上野の都美術館で「マティス」を観てきた。会場はかなりの人混みで、マティスの不人気はいつの話? という感じだった。もっとも、昨今はちょっと名のある画家の展覧会はいずこも盛況で、マティスが特に人気が高いということにはならないが。半世紀前とでは、日本人の高齢化が進み、定年後の時間と金を費やす対象として展覧会が選ばれているという事情がありそうに思うが(自分もその一人)、そうして足繫く通ううちに、マティスのような画家を純粋に楽しめる眼が育ってきているということはあるだろう。

僕自身、上記の『世界の名画』24巻のうちのゴッホゴーギャン、モネ、セザンヌカンディンスキーらの巻に比べると、マティスの巻はこれまであまり熱心に観た記憶がないが、今回展覧会の予習のために開いてみると、今まで以上に面白く感じることのできる自分に気が付いた。平板と思われた単純な画面にも、マティスならではのセンスと計算が働いていることが見て取れて、興味が尽きない。実物を見るのを楽しみに、上野に向かった。

ポンピドゥーセンターから届いたマティスコレクションは、大いに僕を楽しませてくれた。最大の魅力は、思い切った色の対比を用いながら、統一感を失わない、いかにもフランス人らしいセンスの良さだと感じた。しかし、全体を観終わって、何か物足りなさを感じないでもなかった。その前で長時間立ち止まって、できれば座り込んで眺めていたいような、情報量の詰まった大作がない。ないものねだり、ということになるのだろうが、半世紀前の不人気が、わからないでもないのだ。