太宰治と三島

 何年か前、文学散歩の仲間と三島の街を歩いたことがある。桜川という川に沿って文学碑が立ち並んでいるところがあって、その時の写真を見ると、井上靖大岡信芭蕉、子規などの作品を彫った句碑、詩碑が多数立っていることがわかるが、その中に太宰治のはあっただろうか? 写真には残っていないし、記憶にもない。しかし、実は三島は太宰治とも縁が深い街であることを最近知った。
 太宰中期の短編「老ハイデルベルヒ」は三島を舞台にした作品で、冒頭はこうだ。

八年前の事でありました。当時、私は極めて懶惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過ごしたことがあります。

  「私」は高部佐吉という知り合いの家の二階に部屋を借りて小説を書こうと三島に赴く。

そのとき三島で書いた「ロマネスク」という小説が、二三の人にほめられて、私は自信の無いままに今まで何やら下手な小説を書き続けなければならない運命に立ち至りました。三島は私にとって忘れてならない土地でした。私のそれから八年間の創作は全部、三島の思想から教えられたものであると言っても過言でない程、三島は私にとって重大でありました。

  これほどまでに「私」にとって(すなわち太宰にとって)三島が「重大」な街であるなら、あの川沿いのどこかに太宰の文学碑も立っていたはずではないか。見落してしまったのだろうか? 

 ・・・と、ここまで書いて、あらためて写真をチェックしてみたら、ちゃんとあるではないか! 太宰の碑が。そこには「老(アルト)ハイデルベルヒ」の一節がしっかりと刻まれている。ここにその写真を載せたいところなのだが、つるつるに磨かれた石の表面にカメラを構える僕自身の無様な姿まではっきりと写ってしまっているので、ここでは見せられない。 

走れメロス (角川文庫)

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 ■追記(11月4日)

今、国語総合の授業で「富嶽百景」をやっている。その中にも、作品中の「私」(すなわち太宰治?)の三島愛をうかがわせるこんな一節があった。(と言っても、この部分を含む7ページほどは教科書には載っていないのだが。)

(吉田は)おそろしく細長い町であった。岳麓の感じがあった。富士に、日も、風もさえぎられて、ひょろひょろに伸びた茎のようで、暗く、うすら寒い感じの町であった。道路に沿って清水が流れている。これは岳麓の町の特徴らしく、三島でも、こんな工合いに、町じゅうを清水が、どんどん流れている。富士の雪が溶けて流れて来るのだ。とその地方の人たちが、まじめに信じている。吉田の水は、三島の水に較べると、水量も不足だし、汚い。

これでは、吉田の町では太宰の記念碑を建てるわけにはいかないだろう。