村上春樹の「アイロンのある風景」は、読み手をあっと言わせる展開もなく、泣かせる場面もなく、収録作品の中では一番地味な作品、印象に残りにくい作品と言えるかもしれない。しかし、焚火やアイロンが何を象徴しているのか、とか、焚火の炎を見つめる三宅さんはどういう哲学の持ち主なのかなどと探っていくと、これはなかなか興味深い作品なのではないかと思われてくる。
次に引用する場面からは、筆者がこの作品に込めたメッセージが読み取れるように思われる。
――生は、死によってその輪郭が照らし出される。
――生は、死にはね返されて一層勢いを増す。
もちろん、こんな簡単な一行で言い尽くせるようなメッセージではないのだが。
三人は無言で流木の山を見つめていた。新聞紙は勢いよく燃え上がり、ひとしきり炎の中で身を揺すってから、やがて小さく丸まって消えてしまう。それからしばらくのあいだ何も起こらない。きっとだめだったんだ、と順子は思う。木は見た目より湿っていたのかもしれない。
(中略)
「火は消えちゃったんじゃないんですか、三宅さん?」と啓介がおずおずと言った。
「大丈夫。火はついとるから、心配するな。今は燃え上がるための準備をしとるだけや。煙がずっと続いているやろ。火のないところに煙はたたん、言うやないか」
自分がどんな死に方をするかなんて、考えたこともないよ。そんなこととても考えられないよ。だってどんな生き方をするかもまだぜんぜんわかってないのにさ」
三宅さんはうなずいた。「それはそうや。でもな、死に方から逆に導かれる生き方というものもある」
「焚き火が消えたら起こしてくれる?」
「心配するな。焚き火が消えたら、寒くなっていやでも目は覚める」
【 収録作品】
辻原登「塩山再訪」/吉村昭「梅の蕾」/浅田次郎「ラブ・レター」/林真理子「年賀状」/村田喜代子「望潮」/津村節子「初天神」/川上弘美「さやさや」/新津きよみ「ホーム・パーティー」/重松清「セッちゃん」/村上春樹「アイロンのある風景」/吉本ばなな「田所さん」/山本文緒「庭」/小池真理子「一角獣」/江國香織「清水夫妻」/堀江敏幸「ピラニア」/乙川優三郎「散り花」。