芸術としての私小説

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本棚に眠っていた、伊藤整の『改訂文学入門』(光文社文庫)を読んだ。
本書は、「あとがき」に「私は、近代日本文学、特に私小説とヨーロッパ文学とを同時に満足させうるところの、芸術の本質はなにかということを、追求した。」とあるところからわかるように、私小説を肯定的に位置づけようとした点に特色がある。
私小説を芸術として位置付けるために、著者が考え出したのは芸術の本質的な働きとしての「移転」だ。
芸術における「移転」とは何かを簡単に言えば、たとえば林檎のいろいろな性質の中から、色と形の美しさだけを取り出して映し出すこと。文学について言えば、たとえば一つの恋愛事件があったとして、その本質になる部分だけを抜き出して別の物語の中にはめ込む。その事件は現実の事件と似ているが、違った物語として文学作品となる。その別な物語は現実の出来事を多少作り変えるだけのこともある。それが私小説と言われるものだが、そこに「移転」という働きが見られる以上は、私小説も芸術だということになる。