撓む本棚

勤め始めて間もなくの頃(だいぶ昔だなあ…)、何が話題になっていたのか忘れたけれど、国語科の先輩教員が、「白洲正子は文学がわかっていない」というような意味のことを言ったのがずっと頭に残っていて、そのせいだけではないと思うのだが、授業の準備をしていても、白洲正子の著作にあたるということは今までなかった。
今回初めて白洲正子の本を開いたのは、授業のためではない。鶴川に武相荘(旧白洲邸)という建物があって、美術館として公開されていることを知って興味を持ったのだが、どうせなら一冊、手始めに何か軽い物でいいから読んで行こうと思って買ったのがこの本だ。
「会えずに帰る記」というのは小田原に行ったついでに川崎長太郎に会おうと思い立ち、人を巻き込んでさんざん探したが結局居所が突き止められなかったという面白い話なのだが、その中に、

たとえ私小説家でも、作品からその人間を想像することは間違いだろうが、また文章ほど人間を語るものはない。

という一節がある。その通りで、白洲正子の文章からも、白洲正子という人間がありありと立ち上がってくる。自慢話が鼻に付く、という感じがしないでもないが、ずばずば言い切るところ、飾らずあけっぴろげなところが、小気味よくもある。人でも焼き物でも、惚れた対象に一途になれるところが魅力的だ。
今日、武相荘に行ってきた。茅葺屋根の建物の中には、白洲正子が欲しくてたまらなくなって集めたものが展示されていて、それらが周囲の自然環境や古びて趣ある建物ともあいまって、魅力的な空間を作り出している。書斎の壁面を覆い尽くす本棚は、どの棚板も本の重さで撓んでいた。