絵の授業を俳句の授業のつもりで聴く

千住博の美術の授業 絵を描く悦び』(光文社新書)を読んだ。 

千住博の美術の授業 絵を描く悦び (光文社新書)

千住博の美術の授業 絵を描く悦び (光文社新書)

  • 作者:千住 博
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/06/27
  • メディア: Kindle
 

絵を描く人への教えは、あらゆる表現活動に当てはまるに違いない、特に俳句作りには、と思って読み始めたが、思った通りだった。

よく作品をつくるときに「量より質だ」と言われますが、そんなことはありません。…むしろ私は「質より量だ」と考えています。質の高いものというのは、量を描いている中に、偶然混じっているものだからです。 (53㌻)

俳句ではこれを「多作多捨」などと言っているようだ。

普通にしていても十分個性は出ているものです。あなたを間違える人はいません。これが必要にして十分な個性です。無個性な人というのはいるわけがありませんし、もしいたらこれは逆に驚くべき個性です。 (70㌻)

文章表現にも、その人の個性はどうしても表れてしまうもの。文は人なり。絵も句も人なり。

絵画とは世の中のわからない不思議に対する問いかけなのです。イラストレーションとは簡単に言うと、わかっていることの説明図です。(中略)絵画は説明とは根本的に違うもので、真摯な姿勢からくる「なぜだ」という問いかけの要素が強く、それが作品を大きくします。 (73㌻)

文章表現においても、その根本にあるのは「問い」。「説明になってしまっている」というのは俳句を批判するときの決まり文句。

古典はヒントの宝庫です。上手くいかないとき、成功例は世界の古典の中に存在します。古いものをどんどん見る気持ちが大切です。そして改めてその偉大さに気づきます。 (110㌻)

これはすべての芸術表現に言えることだろう。温故知新。文学でも、音楽でも。筆者は、文学の古典からも学んで絵に生かしている。

松尾芭蕉が随筆「笈の小文」で述べた「風雅におけるもの造化に従がひて四時を友とす」。この「造化」に私は目を留めました。「造化」とは、水が流れたら流れたその形そのものに美を見だそうとする考え方です。また紀貫之の『新撰和歌集』の中の「花実相兼」は、内容と表現が完全に一致したときに、完璧な作品が生まれる、ということです。 (122㌻)

そもそも俳句における「写生」は、正岡子規が絵の世界から借りて来た言葉なのだから、次のような一節が出てくれば、俳句とつながってこないわけにはいかない。

自然の中の何かをモチーフとして選んだときに一番大切なのは徹底的に観察することです。とにかくよく見てデッサンを重ねるということがとても大切なのです。 (152㌻)

 

今、アマゾンのサイトを開いてみて、この本に続編があることを知った。千住先生、まだ学生に語り尽くせていないということなのだろう。何を語ろうとしているのか、興味がある。 

美は時を超える~千住博の美術の授業2~ (光文社新書)

美は時を超える~千住博の美術の授業2~ (光文社新書)

  • 作者:千住 博
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: Kindle