自分を映し出す鏡

 最後の作品、というせいもあるが、北村薫の「ものがたり」が一番印象に残った。そして、疑問が残った。疑問は自分の不注意のせいかもしれない。何度も読み返したが、やはり自分の知りたいことは、直接は書かれていない。

耕三が、受験のために上京し、自分たち夫婦の家に泊まっている茜(妻・百合子の9歳下の妹)と顔を合わせるのを避けたのは、そもそも危険な「運命」への「予感」があったからなのか? それとも、耕三は茜の「ものがたり」を聞きながら初めて茜の意外な本心に気付いたのか? 茜は何を望んでいるのか?

三年前に百合子の実家に結婚のあいさつのために赴いた耕三が初めて見た茜は、まだ「少年じみて」いたのに、そしてその後も何度か妻の実家は訪れたが、茜と顔を合わせることは少なかったのに。

読者が自分なりの解釈を差しはさむ余地はいくらでもありそうだし、またこの短編の結末は、さらに大きな「ものがたり」の序章にすぎないのかもしれず、さまざまなその後の展開を読者は想像(妄想?)することが可能だ。いや、想像を膨らまさざるを得ない。編者の松田哲夫が、この作品を作者自身を映し出す鏡だと言っているのは、まさにその通りだと思う。

多くを語らない物語は、読者にもどかしさを感じさせもするが、読者に強い余韻を残すともいえる。

 

【収録作品】

深沢七郎「極楽まくらおとし図」/佐藤泰志「美しい夏」/高井有一「半日の放浪」/田辺聖子「薄情くじら」/隆慶一郎「慶安御前試合」/宮本輝力道山の弟」/尾辻克彦「出口」/開高健「掌のなかの海」/山田詠美「ひよこの眼」/中島らも白いメリーさん」/阿川弘之「鮨」/大城立裕「夏草」/宮部みゆき「神無月」/北村薫「ものがたり」