光源氏の「耐える能力」

ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)とは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」、あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味するという。詩人、キーツシェイクスピアについて語る中で使った用語だそうだ。

筆者は、紫式部シェイクスピアに比肩できるほどネガティブ・ケイパビリティを備えていたという。

物語を光源氏という主人公によって浮遊させながら、次々と個性豊かな女性たちを登場させ、その情念と運命を書き連ねて、人間を描く力業こそ、ネガティブ・ケイパビリティでした。もっと言えば、光源氏という存在そのものがネガティブ・ケイパビリティの具現者だったのです。この宙吊り状態に耐える主人公の力がなかったら、物語は単純な女漁りの話になったはずです。

確かに、光源氏は物語のごく初期の段階で、藤壺と関係を持ってしまう。そのことによる罪の意識を抱えながら、ある種、宙ぶらりんな状態に耐えつつ、延々と生きていくのだ。

「あはれの文学」「をかしの文学」という言い方があるが、「あはれ」はネガティブ・ケイパビリティと、「をかし」はポジティブ・ケイパビリティと対応するのではないか、などと思いついたが、どうだろう。