読書の味覚

 三木清は、「読書遍歴」(『読書と人生』所収)の中で、「昔深く影響されたもので、その思い出を完全にしておくために、後に再び読んでみることを欲しないような本があるものである」と言っている。三木清が「深く影響された」本というのは徳富蘆花の『自然と人生』なのだが、さて、僕が深く影響された本で、かつ、もう読まないでおこうと思う本があるだろうか、と考えてみても、すぐには思いつかない。若いころの僕の感受性に強く訴えてきた本で、歳をとった今、もう一度読んでみたいと思う本はいくつか思い浮かぶが、それをなかなか読まないでいるのは、若い時の印象を大切にしたいという思いからではない。昔の感動をもう一度味わってみようという気持ちはあるのだが、それよりも、まだ読んでいない本に対する好奇心が強いからだ。

  若いころ読んだ本を、それから長い時が経った今、もう一度読んで、がっかりするようなことはあるのだろうか? 若い時の感性は、今でも自分の中に残っていると思うのだが。ただ、昔おいしく食べた食べ物をしばらくぶりに食べてみて、なぜこんなモノがおいしかったんだろうとがっかりすることは時々ある。本に対する「味覚」にも、変化はあるだろうか。

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人生の残り時間

 最近は人生の残り時間というものを意識して、新しい本を買って「積ん読」の山を無駄に高くすることは極力控えるよう心掛けている。それよりも、いつか読むだろうと思っていた本で既にいっぱいになっている本棚から、日焼けしたりシミだらけになったりした古い本を引っ張り出してきて読むことが多い。「いつか」はもう今しかないと思うからだ。
 三木清の『人生論ノート』を買ったのは、高校生の時か、大学生の時か。新潮文庫の奥付には「昭和51年 52刷」とある。値段は160円。「現国」の教科書に載っていた「旅について」にとても惹きつけられた記憶があるので、他の文章も読んでみたくなって買ったのだろう。所々に線が引いてあるので、少しは読んだのだろうが、全文を読むのは今回がおそらく初めてだ。
 正直に言えば、半分くらいしか理解できなかったのだが、非常に感銘を受けたところが何カ所かあったのも事実で、本を読んで黒々と線を引きたくなったのも久しぶりのことだ。たとえば「幸福について」の中の次のような一節。

機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現われて他の人を幸福にするものが真の幸福である。

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あるいは「虚栄について」次の箇所。

虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッションである。それは仮装に過ぎないかも知れない。けれども一生仮装し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。

 半分くらい理解できなかった部分が残っているのは悔しいことだが、その残り半分を理解するために、人生の残り時間を費やしてもいいように思う。これは、そんな魅力を感じさせる本だ。

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背泳ぎの空

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 中谷豊句集火焔樹』を読んで印象に残った句の一つが、

   背泳ぎの空に未来を見し日かな

 だ。この句を読んで、僕はすぐに石田響子の

   背泳ぎの空のだんだんおそろしく

 を思い出した。背泳ぎをしながら見た空におそろしさを感じることと、未来を見ることの間には、連続性がありそうに思う。

 水の上に仰向けになって見る青空は、自分を吸い込んでしまうような恐怖を感じさせる。地面に立って空を見上げるときは、そんなことはないのに。体が浮かんでいるというよるべの無さが、人にそんな恐ろしさを感じさせるのだろうか。そしてその恐ろしさの感覚は、無限大の空間の広がりの中における自分という存在のちっぽけさの認識につながる。
 背泳ぎの空に「未来」を見たのは作者がまだ若い(幼い?)時のことだろう。空という空間の広がりに茫漠たる時間の広がりを感じたその時の作者は、その時間の広がりに自分の将来への無限の可能性を見ていたに違いない。しかし、そこには一抹の不安がなかったはずはないし、水に浮かぶ自分自身のちっぽけさの認識があったならば、その「未来」が不安と共にあったであろうことは間違いない。

 この句は、石川啄木の代表歌の一つ、

  不来方のお城の草に寝ころびて

  空に吸はれし

  十五の心

 にも一脈通じるものがあると思う。

 

  足裏の涼しき日なり体重計

  四股踏んで丘の上なる四月かな

  秋鯖のバケツに立てて売られけり

 

旅の窓

旅する力―深夜特急ノート (新潮文庫)

名作紀行文、『深夜特急』が生まれるまでの舞台裏と、その後日談を語り、旅の本質に迫る、興味深いエッセイ集。

 ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。そのひとつの思いに深く入っていくと、やがて外の風景が鏡になり、自分自身を眺めているような気分になってくる。
 バスの窓だけではない。私たちは、旅の途中で、さまざまな窓からさまざまな風景を眼にする。それは飛行機の窓からであったり、汽車の窓からであったり、ホテルの窓からであったりするが、間違いなくその向こうにはひとつの風景が広がっている。しかし、旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める「旅の窓」になっているのだ。ひとり旅では、常にその「旅の窓」と向かい合うことになる。

 バスや電車の窓から風景を楽しんでみたい。長いこと、そんな楽しみから遠ざかってしまったような気がする。でも、あまりに緊張を強いられるのはつらいし、自分自身と向き合い続けるのも、御免だ。疲れてすり減った自分自身はどこかに置いて、のんびりとした時間を過ごしたいと思う。しかし、それで本当に旅をしていることになるか?

 三木清は「人生論ノート」の中の一編、「旅について」において次のように語る。

旅において出会うのはつねに自分自身である。自然の中を行く旅においても、我々は絶えず自分自身に出会うのである。旅は人生のほかにあるのではなく、むしろ人生そのものの姿である。

 旅に道連れがあれば、その人がいかなる人間であるかを旅が教えてくれる。ひとり旅の場合、常に自分と向き合い、自分がいかなる人間であったかを発見せざるを得ない。発見するとは、それがその時まで未知であったということだ。自分にとって自分ほどわかりにくいものはない。ひとり旅とは、そのわかりにくい自分を道連れにし、自分を発見し続ける営みということになる。だとすれば、のんびり気ままにひとり旅、というのは不可能だ。やっかいな自分自身というやつをどこかに置いて旅に出ることはできない。

「創造」としての「鑑賞」

現代秀句

現代秀句

  • 作者:正木 ゆう子
  • 発売日: 2020/09/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 帯に「鑑賞、すなわち創造」とあるが、文学作品の鑑賞、とりわけ俳句の場合は読者に「創造」力が求められる。たとえば、橋閒石の句、


柩出るとき風景に橋かかる


の場合。筆者は、この橋を「柩出しのときに、死者のために虹のように架かる彼の世への橋」とも、「柩を運ぶ一族が渡る現実の橋」とも解釈できると言い、「読み手はどちらの世界に遊んでもいい」という。俳句は読み手によって解釈に幅があり、その幅の中で「遊ぶ」喜びこそすなわち「創造」する喜びなのだ。俳句の場合、読み手の多くが実作者でもあるという事情にも、それはつながるだろう。また、必然的に優れた作り手は優れた鑑賞者にもなり得るわけで、そのことはこの本が実証していると言える。


ところで、「初版後記」に面白いことが書かれている。筆者とのやり取りの中で、本書の編集者が前掲の橋閒石の句について、「柩そのものが橋なのではないか」という読みを示したというのだ。

 私は目からうろこが落ちる思いであった。もしかして自分だけがこの句をそういうふうに読まなかったのかもしれないと思い、念のため橋閒石の弟子である友人に聞いてみたが、友人の読みも私と同じであり、佐藤さん(編集者)のようには読んでいなかったという。そして友人もまた、佐藤さんの鑑賞が最も作者の意図に叶っているのではないかと言うのである。
 私はその項を書き直そうかと思ったが止めた。こうして後記に書けばよい。俳句に間違った鑑賞などめったにないのだから、最初に書いた鑑賞はそれでいい。それより編集者が直感的に感じたことが、閒石の弟子よりも私のような長年のファンよりも鋭く、一句を読み解くという事実に、俳句という文芸の豊かさを思ったのである。

こうして自分の思いもしなかった解釈に出会えることも、「創造」としての解釈を許す俳句のすばらしさなのだと思う。(ちなみに今の僕は、柩そのものが橋だとは考えない。この橋は向こう側が霞んで見えないくらい長い橋、渡り切るのにどのくらい時間がかかるか想像もつかないような長い橋だ。)

ロンドン、ロンドン

今日は、ロンドンの日。

上野の西洋美術館で開催中の「ロンドン・ナショナルギャラリー展」を観てきた。

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会期終了のぎりぎりになって、やっぱり観ておきたくなって、日時指定のチケットの空き状況をネットで調べたら、昼間の枠はすべて完売、夜の時間帯にかろうじて予約できる枠が残っていたのだ。上野駅構内で早めの夕食を済ませてから、会場に向かう。
今回はyoutubeや画集で予習してあり、重点的に観ようと思う作品がいくつか決めてあった。
クリヴェッリの「聖エミディウスを伴う受胎告知」、ターナーの「ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス」など。いずれも大作で、期待に背かず見応えのある絵だったが、小さいながらも魅力的で印象に残った作品もある。コローの「西方より望むアヴィニョン」、ゴーギャンの「花瓶の花」などだ。
今回のフェルメールは良いとは思わないし、ゴッホの「ひまわり」は名作に違いないが、それ以上に話題性が突出しているように感じた。


もう一つのロンドン。
美術館からの帰り、上野東京ラインの電車の中で、沢木耕太郎の『深夜特急』を読み終えた。もっと旅を続けていて欲しいのに、もっと読み続けていたかったのに、旅はロンドンにて終了。筆者は、正面にナショナル・ギャラリーの建物が見えるトラファルガー広場に立つが、中には入らなかったようだ。(いや、書かなかっただけかもしれない。『深夜特急』は紀行文とはいえ、いくらかの脚色はあるようだからだ。) 

 

人生観を変える旅

 14年ぶりに、沢木耕太郎の『深夜特急』の続き(2巻~)を読み始めた。第1巻をあんなに面白がって読んだのに、

https://mf-fagott.hatenablog.com/entry/20060517

なぜかずいぶん間隔があいてしまった。

深夜特急3―インド・ネパール― (新潮文庫)

深夜特急3―インド・ネパール― (新潮文庫)

 

  遠出のしにくい日々が続いているせいか、これを読んでいると外に連れ出されたようなスリルと爽快感を味わえて、どんどん読み進む。

 今、インドから国境を越えてパキスタンに向かおうとしているところ。いあや、インドはすさまじかった。人生観を変えようと思ったら、インドに行くべきかもしれない。日本では思いもよらないことが次々に起こる。

 仏陀が悟りを開いたというこの村は、皮肉にも天然痘の最新流行地のひとつだった。髪の長かった食堂の少年が、翌日会うと一本の弁髪を残して丸坊主になっている。昨日、妹が死んだからだという。インドでは近親者が死ぬと男はこのように頭を丸めるものらしい。そう知ってあたりを見廻すと、どんなにその頭の多かったことか。少年のいれてくれたチャイを飲みながら、妹さんが死んだ原因を訊ねると、やはり天然痘だという。日本の厚生省の役人が聞いたら卒倒してしまうかもしれない。妹が天然痘で死んでいるというのに、兄は隔離もされず、しかも客に飲食物を出している。

  ブッダガヤでは、身の周りにそんなことがいくつも転がっていた。(第4巻、第10章 峠を越える)

 インドでは新型ウイルスが猛威を振るっているようだが、沢木耕太郎が旅した頃と、衛生環境はあまり変わっていないのかもしれない。そうだとしたら、あれほどの感染者が出てしまうのも当然ということだろう。感染症の流行と貧困問題は切り離すことができない。