とにかく、書く。

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)

 今まで、文章指南の書はいろいろ読んで来た。でも、その内容のほとんどは忘れてしまった。
 結局、自分自身の経験の中から自然に身についてしまった、「方法」とも呼べないような、自分なりの書き方(というより書き癖?)に無自覚に従って書いているにすぎない。多少なりとも進歩があったとしたら、それは文章読本のおかげでなく、とにかく書き続けてきたからに違いない。
 そもそも何かの上達のために書かれた本を読んだだけで、その何かが上達するはずがない。楽器の演奏が上手くなりたかったら、楽器を吹くしかない。野球が上手くなりたかっら、まずキャッチボール。だから、この本だって、そんなに期待して読み始めたわけではない。面白そうだから買ってみたのだ。(古本屋で350円の散財。)
 で、実際この本は、今まで読んだこの手の本の中でも一番面白かった。この「面白い」というのが大切な点で、面白い文章は、少なくとも面白い文章を書く時のお手本になる。
 文章を読むことと文章を書くことの距離は、野球の本を読むことと実際に野球をすることの距離に比べたら、ずっと近い。というより、書いている時間のほとんどは、自分の書きつつある文章を読んでいる時間だ。楽器を演奏するという行為の最中でも、奏者の意識のほとんどは、自分の出している音や周りの奏者の音を「聴く」ことに充てられているというのと同じだ。
 堀井憲一郎氏もこう言っている。

 いい文章を書くにはという問いに対する答えは、つねにひとつである。
「先人の書いたよい作品、よい文章を読め」
 これだけだ。
 名文の“書き方”に書かれていることは、ふつう、これだけです。読むだけではなくて、暗唱できるともっといい。とにかく「根本の原理」というものが存在せず、「常に読み継がれてきたもの」の中にしか学ぶものがない。これが、物語や文章の本質なのである。
 文章書きのマニュアルは存在しない。

 人の文章も読まないといけないけど、自分の文章も読んで、読んで、また書く。別に細かくチェックして反省なんかしなくていいです。そんな面倒なことしてたら前に進めない。大事なのは、前に進むこと。
 前に進むためにはどうするか。何でもいい。書く。書く。それも「明確な目鼻がついて声が聞こえてくる相手」を想定して、書く。書く。そうやって進んでいくばかりだ。

 この本に書かれているのは、文章を書くための細かな“how to”ではない。書き方以前の、心構えみたいなものだ。それも、初めて知ったというような内容では必ずしもない。でも(だからこそ?)、読みながら、「そうそう、そうだよね。」と心の中で何度もうなづいてしまうのは、わかっていることだけど、面白く読みやすい文章で書かれているからだろう。読んでいて、なんだか励まされているような気がしてくるのだ。

 ところで、僕は堀井憲一郎氏と学生時代、同じ教室で同じ講義を受けていた、なんてことがあったのかもしれない。もしかしたら。その可能性は、ある。