読んだ記録、読んだ記憶

このブログでは、本を読み終えたらその覚書として(かつて書いていた読書ノートの代わりとして)その本についての駄文をしたためる、ということを続けて来た。ごく少数ながらアクセスしてくれる人もいるし、何よりも自分のための読書記録として、やめるわけにはいかない。検索機能があるので、ブログを始めて以来、自分が誰のどんな本を読んできたか、すぐに確認できて、実に便利なのだ。

ところが、一応のルールとして、本一冊丸ごと読み終えたところで書く、と決めているから、たとえば短編集の中のいくつかを読んだという場合や、真ん中辺まで読み終えたところで中断したままになっている本については、基本的には書かない。となると、読んだことを忘れてしまうことにもなりかねない。記録を残す意味では「本」単位ではなく、「作品」単位でこまめに書き残した方が良いのかもしれない。

最近はつまみ食い的な読書がかなり増えている。というのは、新型ウイルスのせいで外出できない分、逆に授業関連の文章に目を通す時間が確保できているからだ。雑務に追われていたころはあれほど欲しかった教材研究の時間が、皮肉にもウイルスのおかげでポンと生まれて来た、という感じだ。そんなわけで、教科書とか問題集とかに採られている小説や評論に関連した文章、入試では定番の作品だから生徒には「作者名、覚えておけよ~」とか言っているけど、実は自分がどんな話か知らない(あるいは、昔読んだかもしれないけど忘れてしまった)小説などを、あれこれ読んでいる。

小説では、

 森鴎外阿部一族

 国木田独歩「武蔵野」「忘れえぬ人々

 室生犀星あにいもうと

 開高健「裸の王様」

 清岡卓行アカシヤの大連

など。詩では、

 萩原朔太郎月に吠える

など。

やはり評価の定まっている作品というのは、読みごたえがある。生徒にも読んでもらいたいと思う。そんな作品でも、読んだという記録を残しておかないと、記憶はだんだんと薄れていってしまいそうな気がする。