不確かな境界線

終の住処

終の住処

 全く予備知識なしで読み始めた。というのは不正確な言い方で、題名とカバーの写真だけから自分好みの作品かもしれないという勝手な期待感を抱いて購入し、読み始めたのだが、それは作品理解の妨げにしかならなかった。つまり、何となく予想していた内容とはかなり違う作品だった。期待はずれだったのかというと、そういうことはなく、これはこれで面白いじゃないかと思った。現実離れしたお話、と言ってしまえばそうなのだが、僕自分の生活だって、見方を変えれば似たようなものと言えなくもないような気がしてくる。
 人格と人格の間に、過去と現在の間に、そして夢と現実の間に、それらを区切る境界線は厳然と存在するのだということを前提に、僕たちの生活は営まれている。しかしその境界線を不確かなものと感じ始めたとしたら、現実はこの小説のように不可解な様相を帯びてくるのではないか。磯粼憲一郎は作品の中で、意図的に境界線のあいまいな世界をつくり出し、僕らの現実に揺さぶりをかけようとしているように読める。最後の場面の、

不思議なことに彼も妻も、ふたつの顔はむかしと何ら変わっておらず、そのうえ鏡に写したように似ているのだった。

というところに、著者の意図が少々露骨に現れてしまっているように感じたが、どうなのだろう。もう一度読めば、作品理解が深まることは間違いないが、それより僕はこの著者の別の作品をぜひ読んでみたいと思う。それは、この作家の意図を別の作品に探りたいということでもあるが、それ以上に、この人の独特の文体にはまってしまったということなのだ。