牧野信一を読んでみる(その4)

 またまた、牧野信一について…
 今日、「英語で読む村上春樹」のテキスト(4月号)を読んでいたら、こんな記述に出会った。

 …一般的にファンタジーという言葉から連想するのは、確かに幻想的な世界であり、ディズニー作品に代表されるハッピーエンド的な物語をイメージされる方もいるかもしれません。
 ところが、ファンタジー小説の中には、意外とダークな面を強調した作品も少なくないのです。(中略)
 こうしたダークな面を強調したファンタジックな虚構の世界は「ディストピア小説」と一般的に呼ばれています。

 ディストピアとは、ユ−トピア(理想郷)の対極で、訳せば「暗黒郷」。牧野信一の描く「鬼涙村」は、まさにこの「暗黒郷」にほかならないではないか。
 テキストによれば、ディストピア小説の要素として挙げられるのが、風刺、暴力。そして作家たちの揶揄の対象となるのは、閉鎖された社会、なのだそうだ。
 村人の恨みを買った人が、仮面をかぶった村人たちによって担ぎあげられて川に投げ込まれるというシーンに見られる、情け容赦のない暴力性。村人の醜悪さの誇張された描写から読みとれる、閉鎖的な社会に対する作者の批判精神… 幻想的な作品と評される「鬼涙村」だが、ここにはディストピア小説の要素がしっかり揃っている。(同様の傾向は「ゼーロン」にも見られる。牧野信一には、ほかにもこの系統の作品はあるのかもしれない。)
 欧米の出版界は「ちょっとしたディストピア小説ブーム」なのだそうだが、牧野信一が日本におけるディストピア小説作者として海外から注目されるなんてことになったら、面白い。