人に教える情熱

 池上彰は著書『<わかりやすさ>の勉強法 (講談社現代新書)』の中で、読売新聞の1面のコラム「編集手帳」を「各紙の中でも群を抜いた力量」と称賛していた(→過去の記事)が、その編集手帳の書き手である竹内政明池上彰が文章について語り合ったのが、『書く力―私たちはこうして文章を磨いた朝日新書)』。

 プロの書き手同士が、惜しげもなく手の内をさらけ出している。自分の文章にも使えそうなワザも見つかるが、プロの書き手でない僕たちにとってのこの本の一番の恩恵は、筆者はここで「あの手」を使っているな、という具合に、「編集手帳」や池上彰の文章を読む楽しさを倍増させてくれることではないか。
 さっそく今日の「編集手帳」を読んでみる。(我が家は「読売」を購読していないが、たまたま昼飯を食べようと入った蕎麦屋に置いてあった。)
 まずは、江戸時代の本草学者、小野蘭山の優れた記憶力を伝える逸話の紹介。何の話につながるのかと思いきや、「森友学園」問題。「国会の証人喚問に臨む籠池氏には蘭山先生並みの精密さで真実を語ってもらおう。
 ここまでは、良い。しかし、締めの段落がどうも僕にはしっくりこない。

それにつけても、である。『最も鈍い者が』と題された吉野弘さんの詩を思い出す。<人を教える難しさに最も鈍い者が/人に教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか…>。その人のために書かれたような一節である。

 (あ、ここでも吉野弘か。『書く力』でも、池上彰が「はじめに」で吉野弘の「祝婚歌」を引用している。それはともかく、)僕には、あの理事長が「人に教える情熱に取り憑かれ」た人間であるようには見えないのだ。