牧野信一を読んでみる(その5)

 「淡雪」は、自伝的な小説であり、作中の新吉が幼いころの牧野自身であるということを知った上で読み始めるのでないと、人物名が次々と出てきて、何が何だかわからなくなる。僕の場合がそうだった。二度目には家系図のようなものを書きながら読んでみたが、それでも登場人物の相関関係は複雑でわかりにくい。
 この小説から読みとるべきは、新吉が生まれる前に渡米したという父親(作中名は英介)に対する新吉の屈折した思いと、牧野を可愛がったという祖父との関係だろう。それを知ることで、「父を売る子」「地球儀」のような、父親への複雑な思いが底に流れる「私小説」系の作品に対する理解は深まる。
 「地球儀」に描かれている地球儀は、「淡雪」の中の次の場面に出て来るものと同じものにちがいない。

 新吉の祖父は、
「英(ひで)はいよいよ帰らぬ決心か……あ……!」
と英介からの便りがある毎に晩酌の傍らに持出す地球儀を視詰めて、俺あ何うしても世界が円いなんて考えられぬよ! と首を傾けるのが癖だったが、この時は震えて涙を滾した。彼は地球が真に円ければ、向ふ見ずな英介が先へ先へと走って行くうちには、やがては否応もなく日本に達して了ふに違ひないと信じてゐた。
 「泣虫!」
 新吉はそんなことを叫んで地球儀を蹴った。彼には持運べぬ位ひ大きなものだったが、球は枠を外れて縁端へ転げ出た。祖父は新吉の何んな野放図な我儘でも黙認して、優等生になどなって呉れるな、などゝ呟いた。

 「地球儀」の中では、同じような場面が書きかけの短編として挿入される。「淡雪」を読んでいれば、「あ、あれか」と思うところだが、そうでない読者にはわかりにくいだろう。そもそも、入れ子構造になっている作品というのは、小説を読み慣れている読者であっても多少はてこずるのだ。センター試験の点数が低かったというのも、当然の結果だろう。