アートと非アート

 先日、「黄金町バザール」を開催中の黄金町界隈を歩いた。
 展示会場で撮った作品の写真と、展示会場近くの路上で撮った自転車の写真と、同じく路上で写した大ゴミの張り紙の写真。3枚を見比べていると、アートと非アートを区切る明確な線は存在しないような気がしてくる。
 「不法投棄」されたものはもともと何なのだろう。その張り紙の「棄」の字は限りなく「茶」に近く、「作者」の苦心の跡がうかがわれて微笑ましい。捨てられた場所が、アートの街として変貌しつつある黄金町であることも手伝っているであろうが、謎の物体は意図せずして「作品」の方向に向かっていると僕には思える。

■今日(2014/10/12)、大竹伸朗『既にそこにあるもの』を読んでいたら興味深い一節を見つけたので、ここに抜き出しておこう。

たとえば粗大ゴミ収集日、微妙な距離をおいて自分の作品を置き、収集にきた係員が迷うことなく僕の作品をトラックに積み込むような、そんな作品をつくれるようになりたかったし、それから二十年たった今、やはりその思いは変わっていない。

 ついでにヨコハマトリエンナーレに出品されている大竹伸朗の作品の写真を張り付けておく。御覧の通り、自らゴミ集積所に移動できるように(?)、最初から車輪が付いている。