一番古い記憶

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

天下無双の建築学入門 (ちくま新書)

 藤森照信『天下無双の建築学入門』の次の部分が興味をひいた。そして、自分の一番古い記憶のことを思った。

 生れてから現在にいたるまでの自分の記憶は、脳の中に定着された自分の世界は、建築と町並みによって安定と連続性を保証されているのだ。
(中略)
 人が人らしくありうるのは、自分が自分であることの証は、脳の中に作られている自分の世界の安定と連続によるのだけれど、そのことを人間は自分で確かめることはできない。しかし、建物や町並みを見て懐かしいと感じた時、実は、意識の奥で、その確認がなされており、確認できたことのよろこびが、懐かしいという得もいわれぬ感情となって湧きあがってくる。

 僕の一番古い記憶は建物の記憶だ。
 二歳と数カ月の頃、移り住むことになっていた横浜の郊外に新築中の家を、両親と見に行った時のものだ。北側の勝手口の小さな土間の辺りから中を覗き込んでいる自分自身のイメージを、僕は今でもはっきりと思い浮かべることができる。中では若い大工さんが一人、黙々と作業をしていた。
 それは純然たる「記憶」とは呼べないものかもしれない。その時のことは、両親との間で話題になることもあったから、それによって補強された部分もある。その後、その家には20年ほど住んだのだし、写真も残っているから、それらの新しい情報と混ぜこぜになっていることも確かだ。しかし、僕にはそれが自分の中で一番古い記憶であることは間違いないと感じるし、あの建築中の家を覗きこんだときの幼い自分の気持ちのありようが、いかにも自分らしいものであったと思えてならない。半世紀以上も前の記憶の中の2歳数カ月の男の子が、今の自分と同一人物であることは、疑いようもないのだ。今でも僕は、住宅建築現場というものに、格別の思いを持っている。
 その家はもう20年くらい前に取り壊してしまったけれど、もしその家が今でも残っていて、それを見ることができたとしたら、これ以上はないというほどの懐かしさを感じるに違いない。平屋建ての、小さな家だ。