線を引いて読むのは、その著者に対する最高の敬意である。

何と一カ月以上も更新できなかった。2005年にブログを始めてから初めてのことだと思う。
自転車通勤だから電車の中での読書時間が作れないし、帰宅して夕食を食べ終わると、仕事の疲れとビールの酔いで、ほどなく襲ってくる睡魔にあえなく負けてしまうという生活が続いているから、ブログを書く時間がなかなか作れない。こんな状態が、数年後の退職時まで続くんだろうなあ。


『本を読む本』を読んだ。
本を読む本 (講談社学術文庫)この本が教えてくれる読書法(=分析読書)は、「人間の永遠の問題に関する重要な洞察を与えてくれる本」に当てはまるのであって、そんな本は一万冊に一冊しかないような本なのだと著者は言う。確かにこの世の多くの本は、「読書法」などと堅いことを言わずとも、読めばワカル程度のものだろう。
しかし、それほどの重い本でなくても、読書一般に当てはまる文章理解の要諦を教えてくれるし、国語の授業に生かせる点もあり、有益であった。積極的な読者は本に線を引いたり書き込みをしたりするものだといい、効果的な書き込みの方法まで教えてくれるのだから、これはかなり親切な本だと言える。


では、僕が線を引いて読んだ所より…

読書は著者と読者の対話でなければならない。たぶん著者はその問題について読者より多くのことを知っている。でなければ読者がその本をわざわざ読んだりするはずがない。しかし理解するというはたらきは一方通行ではない。本当に学ぶには自分自身に問いかけ、それから教師に質問しなければならない。教師の言っていることがわかったら、教師とのあいだで議論をたたかわすことも辞さぬようでなくてはならない。本に書き入れをすることは、とりもなおさず、読者が著者と意見を異にするか同じくするかの表現なのである。これは、読者が著者に対してはらう最高の敬意である。(58ページ)

確かに、本に線を引く時、これは自分と同じ考えだと思っているか、これは自分の考えと違うと思っているかのどちらかだ。いずれにしろ、線をたくさん引いた本は読む価値があった本ということになる。そんな本との出会いがこれからもたくさんあって欲しいものだが、問題はそのための時間だ…