- 作者: 田中 克彦
- 出版社/メーカー: 角川マーケティング(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2011/05/10
- メディア: 新書
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サービス精神にあふれたユーモラスな文章で、漢字についての深い洞察が示され、無反省に漢字を崇めたてまつってはいけないことを教えてくれる。
しかしこの本に対しては、漢字という奥深い文字の負の側面にばかり光をあてているという反発もあるだろう。
たとえば、複雑な漢字をたくさん覚えなければならないことが外国人の日本語学習の障壁になり、日本語を閉じた言語にしているという主張に対しては、「漢字を覚えるのと英語の単語のつづりを覚えるのとどう違うんだ」とか、「漢字に興味を持って日本語を勉強し始める外国人もいるじゃないか」という反論が僕にでも思いつく。しかし、そんなことは著者はきっと分かっている。分かっていて、あえてそのことには触れず、漢字を悪玉にまつりあげる。あまたの漢字崇拝者に対して、果敢に戦いを挑むように。
こんなことも言っている。
日本人はいつも外国のまねをして、やっと今日のレベルに達した。そして今、やはりこれからも何かマネをしなければならないとすればむしろ朝鮮人のやったハングル化の道である。いうまでもないことだが、朝鮮のハングルではなくて、日本のハングル=かな、あるいはローマ字によってである。
ハングルが優れた文字であることは誰もが認めるところだろうが、今さら「かなもじ運動」「ローマ字運動」が日本で盛り上がるなどとは著者も思ってはいまい。それでもあえてこんな皮肉を言わざるを得ないところに、漢字をやたらとありがたがる今の日本を憂う気持ちの強さが現れている。
(聖徳太子のような「漢字秀才」が現れて日本を漢化する)以前は、漢字を知らないアマテラスやアメノウズメやヒミコの時代であり、その時代の記憶をしっかりとどめているのが、ほかでもない、私たちの日本語である。この日本語の可能性をよみがえらせることが、私たち日本語人の可能性を保障するのである。
なんとこれがこの本の結びなのだが、今さらヒミコの時代の日本語の可能性をよみがえらせるって、どうすればいいのだ? このあたりは著者がどこまで本気なのか、真意をはかりかねる。あるいはこれもまた読者に対するサービス精神の表れなのだろうか。だって、知的刺激を求める読者にとっては、挑発されることもまた心地よい刺激だから。
とにかく、いろいろな意味で楽しめる本。でも、やっぱり漢字が日本語を滅ぼすとは思えなかった。