読書会という幸福

読書会という幸福』(岩波新書)を読んだ。

著者は「あとがき」で、タイトルについて編集者から「読書会という幸福」ではアピール力が足りないのではないかという意見があったことを知らされたと書いているが、僕はこのタイトルに飛びついて購入した。(この記事のタイトルにもそのまま使わせてもらう。)

読んだ本についてブログに記事を書く、それについて誰かがコメントしてくれる(実際はなかなかコメントいただけないのだが)、これもささやかながら立派な読書会と言えるだろうけれど、やはり何といっても本好きが一堂に会して、お互い顔を突き合わせながら、読んだ本について語り合うのは楽しいにちがいない。苦労して読んだ難しい本ならなおさらだろう。

実は、高校の国語の授業でも、小説について生徒が活発に意見を出し合ってくれれば、教室が読書会のような楽しい場になる。ところがなかなかそうもいかないのは、そもそも授業に対して生徒が受動的だったり(そういう態度を育ててしまった教師に責任があるのだが)、後に控えている定期試験に向けて教師と生徒とで「正解」を共有しないといけないという「学校の事情」があったりするからだ。

学校で読書会をやるなら、国語の授業の中でなく、本書の著者も実践しているように、図書室主催のような形で放課後に実施するのが良いかもしれない。でも、生徒が集まるかな。調査書に活動実績として記載できるような形にすれば、総合型選抜で大学を目指すような生徒は参加するかもしれないけれど…いやいや、そうではなく、本について語り合うのは楽しいんだから、純粋にその楽しみのために集まってくる生徒がいるといいな。