流しそうめんか、回転寿司か?

『ウェヴ時代をゆく』読了。
すでにこの本については、俳句の解釈と絡めながら二回にわたって言及してきましたが、あらためて印象的だった部分についてコメントを加えておきます。


(1)僕は常々、「頭がいい人というのは自分が幸福になれる人のことだ」と考えてきました。どんな境遇にあっても望みうる最高の幸福をつかめる人。もちろん、自分の幸福というのは自分を取り巻く人の幸福と共に成り立っているわけですから、「頭のいい人とは自分と周りの人を幸福にできる人だ」と言い換えてもいいでしょう。
さて、梅田望夫

人生の幸福とは「好きを貫いて生涯を送ること」だと私は思う。

と言っています。僕もそう思います。富を得ることも人脈を得ることも、それ自体が目的ではなく、「好き」を実現するための手段に過ぎないはずです。すると僕が考えてきたことは次のように言い換えることができるでしょう。
「頭がいい人というのは、周囲の人の「好き」と折り合いをつけながら自分の「好き」を貫ける人のことだ。」


(2)著者は情報の流れを「流しそうめん」に喩え、

若者が身につけている「流しそうめん」型情報処理能力が「けものみち」を歩く強い武器になる。(中略)
今の若者たちの情報感覚は、そうめん(情報)は本当に無限なので、本当に流れるままに眺め、食べたいと思ったときに取り、それ以外は流れていくままに捨てる感覚だ。
 そうめんは一様でいつ取っても同じそうめんだが、情報はそうではない。新時代の情報リテラシーとは、「無限の情報」と「自らの有限の志向性」を直感的にマッピングする感覚で、つまり膨大な情報を遮断せず大切な情報を探し続ける能力である。

と述べています。僕の本にはこの部分の上の余白に「回転寿司」と書き込んであります。だって、新しかったり古かったり(賞味期限が過ぎていたり!)、自分にとって価値があったりなかったり、うっかりすると取り損なって通り過ぎていってしまったり、情報の流れってむしろ回転寿司に似ていませんか? でも現代の情報の流れは、回転寿司ほどゆっくりしていませんね。著者はおそらくそのスピード感を表わすために「流しそうめん」を引き合いに出したのでしょう。だったら次のように言ってしまったらどうでしょう。
「現代の情報の流れは超高速回転寿司だ。」


(3)次の箇所は、僕の胸にズシンと響きました。

お正月の「今年の抱負」が大抵は実現できないのは「やめること」を決めずに、ただでも忙しい日常に「やること」を足そうとするからである。時間は有限なのだ。精神論だけで新しいことはできない。

毎年この時期になると、正月休みには、あれもやりたいこれもやりたい、来年はこんなこともやってみたいと、考えることはいつも同じ。でもそんなに時間がないことは分かりきっているわけですから、なにを「やめる」かってことは本当に真剣に考えなくちゃならないんですよね。でも、「やめること」、「捨てること」、これが僕には難しいんだなあ…


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

(この本についてはまた何かの問題と絡めながら取り上げることがあると思います。何しろ「線を引いて読んだ所」がたくさんありましたから。)