林檎と地球

石川のぶよし句集『一石』を読んだ。

一石

一石

直立の独楽に疲れのひとゆらぎ
流されし距離を戻りてあめんぼう

 リアルにものを描き出すのに、細密画のように細かな筆遣いは必要ないということだろうか(そもそも俳句にそれは無理だけど…)。勢いを失い、ふらつく独楽が、流れに抗うあめんぼうの機敏な動きが、ありありと目に浮かぶ。

春眠の夢の外より呼ばれけり
名をひとつ覚えて菖蒲園を出づ

 誰にでも覚えのありそうな出来事が、こうして言葉を与えられることで慈しむべき経験の一つとなる。
 最初に挙げた「独楽」もそうだが、比喩、擬人法が巧みに用いられた句が目立つ。

呼び水に応へ井戸水今朝の秋
わかさぎの銀のしづくのごとく釣れ
白菜を鳴かせて四つに割きにけり
手に地球ころがすおもひ林檎剝く

 果実の皮をむく句は多いが、「地球」は新鮮で驚かされた。「白菜」の句を読んで、僕は俵万智の「白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふん肩を並べる」という歌を思い出してしまった。「白菜」に性があるならオンナに間違いない、などと考えてからもう一度「白菜」の句を読むと、これは少々残虐な句なのだなと思ってしまう。
 しかし、作者の人を見る目は暖かい。

しんがりを拍手で包み運動会
一等は靴の脱げし子運動会

 読む人を幸福感で包み込んでくれる、素晴らしい句集だと感じた。


大岩がその奥見せず岩魚釣
道ゆづりあふたびこぼれ萩の花
救ひ出すやうに金魚を掬ひけり
滝の水伸びて縮んで落ちにけり
風押して走りゆく子や風車