電車の中で『ウェブ時代をゆく』の続きを読みながら、また夏石番矢の「北風やブログに集まる無数の心」の句を思い出してしまいました。前回の記事で二通りの解釈を試みてみましたが、この句には別の読み方もあるのではないかとふと思ったのです。そのきっかけとなったのが、次の箇所です。
皆が「この人から学びたい」と思う尊敬する知人を一人選び、「皆で学ぶ」ためにその人にブログの開設を促せば、それだけでも日本語のネット空間は知的な豊穣さを増してくるだろう。在野の賢さを顕在化させれば、日本のネット空間にも「群集の叡智」がもっともっと立ち顕れてくるはずである。
しかし…
問題はこの次です。
しかし「群集の叡智」を立ち顕せようとする実験はなかなか一筋縄ではいかない。ひとつ間違えば、ブログも炎上寸前になって薄氷を踏む思いをし、そういうときは身体に悪い。私も何度か、自分のブログの内容が期せずして議論を巻き起こし、思いがけず賛否激しい反応を受け、誹謗中傷とまではいかぬとも罵詈雑言を浴びせられたことがある。
もちろん著者はこの苦境を乗り切り、次なる知的生産への契機とする術をも示してくれています。確かに「ブログに集まる無数の心」は善意のものばかりではないでしょうし、善意から出たものであっても痛烈な批判となって書き手を苦しめる場合もあるでしょうが、そんなときのために、ネット社会とあくまでも前向きに付き合おうとする著者の次の言葉は肝に銘じておくべきでしょう。
ブログを書き「不特定多数無限大」と向き合うことでときどき味わう苦しさは、知的生産においてきわめて重要なプロセスなのである。
夏石の「北風」の句もまた、不特定多数の読者の存在するネット社会の中で冷風に身を刺されるような事態に遭遇しようとも、あえてそれに立ち向かっていこうとする決意表明として読めないだろうか。これがすなわち「解釈3」というわけです。
夏石番矢に『現代俳句キーワード辞典』という著書があります。この中には残念ながら「北風」の項はありませんが、「北」が項目として立てられており、
夕蛙北へ北へと旅続く 高野素十
沼のような青空は見えてきてなお北へ行く 荻原井泉水
など七句を例として挙げたあとに、次のような記述が続きます。
北は、「キタナシ(汚)・キタシ(堅塩)のキタと同根。黒く、くらい意」(『岩波古語辞典』)というが、日本人に根強い北志向があるのはなぜか。
さきに引いた七つの現代俳句の大半にも、忌避の対象の北としてではなく、磁力に引かれるような北への憧憬がしっかり書き込まれている。
あえて北を目指そうとする心性には一種のロマンティシズムを認めることができるでしょう。夏石の「北風」の句の解釈の違いも、そこにロマンティシズムを認めるのか、ニヒリズムを読み取るのかの違いから生じるのかもしれません。
(ついでにもう一言。梅田望夫の著作の根底を支えるのがオプティミズムであることは自身が語る通りですが、あえて「けものみち」を行こうとする姿勢にはロマンティストとしての側面も認められるのではないでしょうか。そして、そんな梅田望夫の目には「北風」の句はどのように映るのでしょう。)
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