洲之内徹と「アルプ」

洲之内徹の『気まぐれ美術館』読了。

最後に収められている「くるきち物語」と題された文章の中に、

私は二年ほど前から「アルプ」という山の雑誌に、毎号短い文章を書いている。

とあるのを読んで、おや? と思った。
というのは、洲之内徹は山登りとは縁がなさそうに思っていたからだが、著者自身、上の引用部にすぐ続けて、

だが、いくら短くても、山のことを何も知らない私が毎月続けて書くのはどだい無理だし、あまりみっともないことにならないうちに早くやめたいと思うのだが、…

と書いている。「アルプ」に文章を書くことになった経緯も書かれているが、その話の中に、串田孫一の名前は出てこない。串田孫一は「アルプ」の創刊、編集に携わった中心人物だし、絵についての文章も多く書き、また自らも絵を描いている。洲之内徹と接点がなかったとは考えられない。
しかし、これまでに『絵の中の散歩』『気まぐれ美術館』の二冊を読んだが、串田孫一の名前の出て来た記憶がない。「アルプ」の名前が出てきて「おや?」と思ったのはそのせいもある。
洲之内徹の文章を読むごとに、その交友関係の広さを知らされるが、続巻の『帰りたい風景』、『セザンヌの塗り残し』、『人魚を見た人』、『さらば気まぐれ美術館』を読んでいけば、どこかに串田孫一の名前も登場するのかもしれない。

ところで、「アルプ」に載せた文章というのも読んでみたいものだ。

 

四十にして区切らず

安田登『役に立つ古典』を読んだ。

「四十にして惑わず」の本当の意味について、筆者は次のように語る。

孔子の時代に「惑」という漢字は存在しなかった。孔子は当時から存在した同音の漢字「或」のつもりで言っていたのかもしれない。「或」はもともと区切るという意味だった。「四十にして区切らず」。自分ができるのはこのあたりまで、これ以外のことは専門外と決めつけて、自分を限定してしまうのではなく、それまで自分が手を出さなかったことをあえてやってみる。年齢を重ねて固まりだした自分というものを、あえて壊してみる。
例えば、自分が興味のない分野の本にあえて手にとってみる。自分の興味を区切らず色々な世界に触れてみることで、自分の天命を知ることができる。それが「四十にして区切らず」なのだ。

(60歳過ぎても区切らない方がいいのかな? たぶん、そういうことだろうな…)

歴史としての現代短歌

1953年、斎藤茂吉の死を起点に、93年の中井英夫の死まで、戦後の短歌がどのように「現代短歌」として生きようとこころみたのか、その歴史を記述しようとするこころみ。その期間、重要な働きをした歌人たちと編集者(中井英夫)にぐっと近寄ってその言動を活写することで、それぞれの人物像を浮かび上がらせるとともに、互いの関係に目配りすることで、ひとつの歴史として現代短歌をとらえることに成功している。「歴史」は記述されて初めてこの世に存在し得るという当然のことが、文学史についてもあてはまることを実感させてくれる本である。

またこれは、短歌の世界の外に身を置く、関川夏央という一読者の、短歌受容史としても興味深い。

俳句とハイク

世界の人が俳句に憧れ、「私も母国語で俳句を書きます」と我々に微笑みかけてくれるその時に、こちらから、外国語の「ハイク」は日本の「俳句」とは違うものですよといって差異を強調すべきなのでしょうか。日本と世界の俳句には実際隔たりがあるでしょうが、「世界詩としての俳句」の普遍的性質についての議論はまだ始められてもいないのです。そこで我々の第一歩としては、彼らが抱く俳句への憧れを素直に喜び、国際俳句の現状を行け入れるところから始めてはどうでしょうか。(第10章【国際俳句】木村聡雄)

「ハイク」については、このブログでも一度くらいは言及したことがあるだろうと思って検索してみたが、「ハイク」に触れた記事は一つもなかった。検索語を「海外」「俳句」のように変えてみても、海外のハイクに触れた記事は引っかからない。(『海を越えた俳句』佐藤和夫)を読んだのは30年くらい前のことだから、まだこのブログを始めていない。)

僕はこれまで、「俳句」と「ハイク」は別物と思って、ハイクにはあまり目を向けてこなかったというわけなのだが、考えを改めるべきかもしれない。「『世界詩としての俳句』の普遍的性質についての議論」に僕などが加わることはできないが、その行方には注目すべきだろう。諸外国の「ハイク」への目配りは、新しい「俳句」の可能性へとつながるかもしれない。

うらら、おぼろ

筆者は、俳句結社には所属せず、つまり名の通った俳人を師とするわけでもなく、新聞の俳句欄や総合誌に熱心に投句を続ける人でもない。本書の第1章には「俳句は一人でできる」とある。では、筆者は『山月記』の李徴のように、人との交わりを絶ってひたすら句作にふけっている人なのかというと、そうではない。多分野にまたがるネットワークでつながった仲間とともに、ユニークな俳句の楽しみ方を実践している、その実践レポート、というのがこの本の一面。その他、筆者独自の俳句観とか、俳句界の裏側的な話とかが語られる。もう入門しちゃって、俳句界のことをある程度知っている人の方が面白く読めるかも。

あ、ところで僕も「春うらら」という言葉は俳句に使いたくない(なぜか、「おぼろ」も)。それから五七五の間に空白を入れないでほしい、っていうのも全くその通りですね。

二人の「僕」

家から逃げ出すとき、自分以外のなにから逃げるというのか。さらば、と野生の若者が家好きの若者に告げた。

孤独を求めて標高2,000メートル近い山の中に小屋を借りた「僕」は、気に入って手に入れたはずのその山小屋での日々にも疑問を抱くようになり、ザックに食料その他を詰めて、さらに標高の高い山の稜線の、その向こうを目指して歩き出す。

自然の中に身を置き、自然と対話する中で見つけたものは、結局自分自身だったのではないか。自然との対話は自分自身との対話だ。「僕」は山小屋に戻る。「野生の若者」は「家好きの若者」と折り合いをつける。行き詰まりを感じていた自分に光がさす。書けなかった「僕」は書ける自分を取り戻す。

 

ところで、作品中にヘミングウエイの『二つの心臓の大きな川』という短編の名が出てくる。偶然にもつい最近、僕はこの作品を読んだのだが、読後、なぜこのような題名なのか疑問が残った。実はTwo-Hearted Riverという実在の川の名前なのだと教えてくれたのは、次のサイトだ。

https://team-blocks.com/bigtwoheartedriver/

固有名詞ならば、その意味を詮索しても無駄かもしれない。しかし僕は、「二つの心臓」が「二人の自分」を含意していると読んでみたい。(僕が読んだ大久保康雄の訳では『心が二つある大きな川』となっているから、なおさらだ。)主人公ニック・アダムスも、一人でテントを張り、川に浸かって鱒と格闘しているとき、もう一人の自分と向き合っているのではないか、そんなことを思わせる題名だ。

 

コーヒーから珈琲へ

僕は珈琲

前作『珈琲が呼ぶ』は本文中ではすべて「コーヒー」という片仮名表記で統一されていたが、今度の『僕は珈琲』では「珈琲」でほぼ統一されている。

珈琲、の漢字ふたつは、凛々しい。かつての僕はコーヒーと片仮名書きしていたのだが、こうした片仮名書きは随分間抜けに見えることに気づいて以来、当て字ではあっても、珈琲、と漢字で書くようになった。

五年前との重大な違いがここにあった。しかし、本のスタイルは前作とほぼ同じ。珈琲に関わる短い文章を集めたものだ。文章と呼ぶにはまだ不完全な、断章と呼ぶのがふさわしいようなものもある。

ところで、真ん中あたりに、どこを探しても珈琲が出てこない文章がある。喫茶店も出てこない。どういうことか?

「あとがき」を読んで、これだな、と思った。

どのエッセイも、なんらかのかたちで、珈琲とつながっていること、という提案を僕は受け入れた。いくつかは珈琲がまったく出てこなくてもいいだろう、と思ったからだ。それは結局ひとつだけになった。

僕が、珈琲が出てこない、と不審に思った文章はその「ひとつ」だったようだ。しかし、「あとがき」をあらためて読み返してみて、珈琲が出てこないにしても、どの文章も珈琲と何らかのつながりがなければならないはずだ、ということに気づいた。さて、その文章のどこが珈琲とつながっているのか、読み返してみるが、わからない。

その答えはやはり「あとがき」にある、と僕は思っている。

なにかを飲みたくなってきた。何がいいか。熱いものが好ましい。珈琲か。ペルーのやや深煎りの豆がある。ブラジルの豆がある。インドのものも。ネパールから届いたばかりのシティ・ローストがある。いっそのこと、紅茶にするか。良きアールグレイを夕方に飲むのも、悪くない。

珈琲のエッセイ集の、最後の文章の、結末がこれだ。紅茶!

何か飲みたい、珈琲か、いや紅茶も好ましい…この時点で紅茶も珈琲とつながっていると言える。だとすれば、あの珈琲の出てこない文章にも、珈琲とつながるものは出てくるではないか、と納得がいく。味のある魅力的な文章である。はずすわけにはいかなかっただろう。