俳句とハイク

世界の人が俳句に憧れ、「私も母国語で俳句を書きます」と我々に微笑みかけてくれるその時に、こちらから、外国語の「ハイク」は日本の「俳句」とは違うものですよといって差異を強調すべきなのでしょうか。日本と世界の俳句には実際隔たりがあるでしょうが、「世界詩としての俳句」の普遍的性質についての議論はまだ始められてもいないのです。そこで我々の第一歩としては、彼らが抱く俳句への憧れを素直に喜び、国際俳句の現状を行け入れるところから始めてはどうでしょうか。(第10章【国際俳句】木村聡雄)

「ハイク」については、このブログでも一度くらいは言及したことがあるだろうと思って検索してみたが、「ハイク」に触れた記事は一つもなかった。検索語を「海外」「俳句」のように変えてみても、海外のハイクに触れた記事は引っかからない。(『海を越えた俳句』佐藤和夫)を読んだのは30年くらい前のことだから、まだこのブログを始めていない。)

僕はこれまで、「俳句」と「ハイク」は別物と思って、ハイクにはあまり目を向けてこなかったというわけなのだが、考えを改めるべきかもしれない。「『世界詩としての俳句』の普遍的性質についての議論」に僕などが加わることはできないが、その行方には注目すべきだろう。諸外国の「ハイク」への目配りは、新しい「俳句」の可能性へとつながるかもしれない。