変なメモ用紙のようなもの

穂村弘『シンジケート』を図書館で借りて、真ん中辺まで読み進んだとき、派手な絵柄のメモ用紙のような、何かの包み紙の切れ端ような、よくわからんものが挟んであるのに気づいた。おそらく、僕の前に借りた人がしおりのつもりで挟んだんだろう。貸出期限表には「2023.6.15」のスタンプが押してある。僕が借りる直前まで、誰かが借りていたのだ。おそらく生徒だろうが、どうして穂村弘なんか読む気になったのか? 国語の授業で先生に勧められてその気になったのだろうか? それとも、もともと短歌に興味があったのか? いやいや、装丁のカッコよさに惹かれて持ち歩きたくなったのかもしれない…

それにしても、そこに挟んだのはなぜだろう? そのページ(78~79ページ)にある6首のうちのどれが気になったのだろう? たとえば

 歯を磨きながら死にたい 真冬ガソリンスタンドの床に降る星

に共感をおぼえたのだろうか、それとも

 恐ろしいのは鉄棒をいつまでもいつまでも回り続ける子供

に自分の姿を重ねたのだろうか?
古本屋で買った本や、図書館で借りた本に、前の読者の書き込みや傍線を発見すると、いったいこの人はどんな人で、どんな目的でこの本を手にし、どんな思いで読んだのだろうと想像してしまう。
変なメモ用紙はそのままにして、先へと読み進んだ。ゆっくりと浸かるんじゃなくて、さっとシャワーを浴びるように言葉を浴びるのがこの歌集の快適な読み方のようだ。変なメモ用紙のことはすぐに忘れた。
変なメモ用紙のことは、「新装版あとがき」を読んで思い出した。そういえば変な紙があったっけ。もう一度78~79ページを開いてみた。なるほど。なぞは解けた。紙は誰かが挟んだのではなくて、最初から本の仕掛け(おまけ?)として貼りつけてあるのだった。強く引っぱってはがさないで良かった。次の読者は、この紙をどう思うだろう。この紙はいつまで無事でいられるだろう。