疑問を嚙み締める

美術、応答せよ!』、面白いタイトルだ。

小学生から大人まで、美術に縁のなさそうな人から美術にかかわる仕事の人まで、さまざまな人からの多種多様な質問に、美術家、森村泰昌が答える。

「私も画家になれたのでしょうか」とか、「作品が完成するとはどういう状態ですか」とか… さて、森村泰昌はそれらの難問に答えを示せたか?

僕には、森村の答えは必ずしも質問者を納得させるものばかりではないのではないか、と思える。質問に正面から答えるというよりは、質問のまわりをぐるぐる回りながら、自らの哲学を披瀝し、答えの近くに着地したようだけれども、答えそのものはご自分でお探しください、という感じ。

でも、それでよいのだと思う。他人に示された答えは、所詮は自分自身の答えを見つけ出すための手がかりの一つに過ぎない。自分の疑問には自分で答えるしかない。森村もそう考えているのではないか。

本書にはこんな一節がある。

日々の生活は、すべて矛盾によって成り立っている。生きるというのは一歩一歩死にいたることだし、誰かが裕福になればかならず誰かが飢えているし、ジャンケンで私が勝てば相手は負けることになる。日々のすべてが矛盾だらけ。(中略)重要なのは、矛盾を解決することではなく(そもそも解決が不可能だから矛盾をはらむわけで)、なんと言ったらいいか、いわば矛盾を「噛み締める」ことである。そして、あえて付け加えるなら、その噛み締めた味わいが芸術となる。(148~149㌻)

 

上の「矛盾」をすべて「疑問」に差し替えてみよう。するとこうなる。

日々の生活は疑問だらけ。重要なのは疑問の解決ではなく(そもそも答えが出ないから疑問なわけで)、疑問を嚙み締めることが大事。そこに芸術が生まれる。

答えが大事なのではなく、自分自身の答えを求めるプロセスが大事。森村泰昌も実はそんなふうに考えているのではないかと思えてならない。