どんな本か「予測」してみる

 このブログは通常は読み終えた本(時には読みかけの本)に関して書いていますが、今回はこれから読む本(石黒圭「予測」で読解に強くなる!』)について書きます。まだ全く中を開いていない今の段階で、こんなことが書いてあるのではないか、という「予測」に基づいて書くわけです。
 どんな予測かというと、この本には、僕が現代文の授業で一年間繰り返し生徒たちに言っていることと重なる内容が書かれているのではないか、という予測です。
 僕が授業で繰り返すのは、文章の中に「問い」と「答え」を見つけ出せ、そのために、まず題名に注目せよということです。
 例えば、「ウサギの耳はなぜ長い?」という評論文の場合は、題名が既に問いの形をしているのでそれを見つけるのは簡単で、その答えが本文中のどこかに出てくることを予測して読み進めよう、ということを確認します。
 「「迷う」力のすばらしさ」というエッセイの場合もまず題名に注目です。「迷う」という、普通はマイナスのイメージを持つ言葉がなぜ「力」と結びつくのか、そしてなぜそれが「すばらしい」のか、という問いを引き出し、その問いに対する答えが提示されるはずであることを予測するのです。中には、「時間をかけて迷っているうちにいろいろな経験をして何かを得ることにつながるから、すばらしいんだ」というような、ほぼ正解を予測してしまう生徒もいます。そんな場合は、「では、その予測通りのことが書いてあるかどうか、読み進めて確認しよう」と言って、本文を読み始めます。
 もちろん、予測の手がかりは題名だけではありません。例えば文章中に「しかし」が出てきたら、次に筆者の主張が述べられる合図だと思え、というのも予測の一つです。他にも、文章中には次の展開を予測させる様々な手がかりがあり、その手掛かりを意識的に掴めることが読みのスピードや深さにつながります。
 小説の場合も同様です。例えば漱石の『こころ』の場合、Kの「覚悟ならないことはない」というせりふが出てきたところで、Kの「覚悟」とはどういう覚悟か、という問題意識をもたせ、さらにその答えを予測させてから読み始める。これはほとんどの教師がやっていることだと思います。ただ漫然と読み進めるよりも、問を立ててその答えを見つけるという意識をもって読んだ方が、能動的な読みとなり、よりスムーズな理解につながりますが、さらにその答えを予測してその予測を検証するという意識で読んだ方が、さらに能動的な読みとなり、読みの深まりにつながっていくのだと考えています。
 この本には、そんなことが書いてあるのではないか、そして、もちろんそれだけでなく、僕にとっては新発見になるような専門的な知見にも出会えるのではないかという、希望的な予測をもってこの本を読み始めようとしているわけです。

予測は行間の存在を知る手がかりとなり、行間を埋める方向性を示してくれるものですが、行間を埋める具体的内容は読み手自身が決めます。第二章で述べたように、文章理解は、文章を介した読み手と書き手の疑似対話です。対話ですから、読み手が変われば対話の内容も変わりますし、変わってよいと思います。
 大切なことは予測を通して行間の存在に気付くことです。行間の存在に気づき、その行間を埋める工夫をしはじめた瞬間から、書き手との対話が始まるのです。
 「深める予測」では足りない情報を知りたいという気持ちが、「進める予測」ではつぎの展開を知りたいという気持ちが、予測という形で現れます。読み手が予測をする背後には、続きを知りたいという衝動があるのです。その衝動が強ければ強いほど、その文章から目を離せなくなっていきます。
 そこで、文章を書くにあたって「謎」が大切になってきます。文章理解とは問題解決過程、すなわち「謎」を解く過程だからです。
 (「第五章 予測の表現効果とは?」より)