- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/12/04
- メディア: 文庫
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僕はシューベルトのピアノ・ソナタが個人的に好きだ。今のところ(というのはとくにこの五、六年のことだけれど)ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタよりもはるかに頻繁に聴いていると思う。どうしてかとあらためて質問されると簡単には答えにくいのだが、結局のところ、シューベルトのピアノ・ソナタの持つ「冗長さ」や「まとまりのなさ」や「はた迷惑さ」が、今の僕の心に馴染むからかもしれない。そこにはベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタにはない、心の自由なばらけのようなものがある。
これだけの引用を読んでもわからないと思うので、興味のある人には本書をぜひ読んでほしいのだけれど、村上春樹はベートーヴェンやモーツァルトに比べて出来の悪いシューベルトの作品の魅力を、言葉によってうまく掬い取っていると思う。僕が漠然と感じていたことをずばりと言い当ててくれているといった感じだ。
(ベートーヴェンやモーツァルトに比べてシューベルトの音楽は)目線がもっと低い。むずかしいこと抜きで、我々を暖かく迎え入れ、彼の音楽が醸し出す心地よいエーテルの中に、損得抜きで浸らせてくれる。そこにあるのは、中毒的と言ってもいいような特殊な感覚である。
村上春樹はシューベルトのピアノ・ソナタの中でもとりわけ出来の悪い「第一七番ニ長調」を愛好する。その魅力を、吉田秀和の文章を引用しつつ語る部分がまた面白く、納得させられる。あらためて「一七番」を聴いてみて、なるほど、と思う。僕がこれを書きながら聴いているのはワルター・クリーンの演奏。村上春樹が15人のピアニストを聴き比べた中でも、絶賛する一人だ。これはナクソス・ミュージック・ライブラリーで聴くことができる。