「ブルータス」がきっかけで、木山捷平を読む。

ブルータス』という雑誌は面白い。ときどきは買うこともあるし、バックナンバーを図書館で閲覧したり、借りたりすることもある。今回借りて来た3冊の中の1冊が村上春樹の特集。

村上春樹が手放すことのできない51冊の本(51 book guide)の中に『木山捷平全詩集』が入っているのは意外だ。「僕は何を隠そう(べつに隠すこともないんだけど)木山捷平のファンで、けっこうたくさん著書を読んでいる」と書いているのも、「僕が木山捷平を読むなんて、みなさん意外だと感じるでしょうが」という気持ちからだろう。たしかに、村上春樹木山捷平では作風がかけ離れていて、イメージが重ならない感じはするけれど、木山捷平が好きだという人は結構多いようだから、村上春樹がその中の一人であっても不思議はない。それに、木山捷平の作品に流れる一種の軽みは、村上春樹とも通底しているように思う。
僕も『木山捷平全詩集』は持っているが、講談社学芸文庫になってる方だ。気が向いたときに、少しずつ読んでいる。平易な口語を用いた散文的な文体で、庶民的な対象をとらえたところが井伏鱒二と似通っているようにも感じるが、木山捷平のある種の生々しさというか、赤裸々さは、井伏鱒二にはないものだ。(二人の詩で似ているものを並べて比較してみたら面白いかも。)

木山捷平は短歌、俳句も作っている。

 

  母に抱かれた太陽をとらへんとして子の朝よ

これなどは明らかに荻原井泉水あたりの影響を受けている。

 

  日曜日布団干したる幼稚園

  父の咳子の咳段々似て来たり

こんな俳句が句会に出されたら、僕だったら点を入れそうな気がする。