「まじめ」の先に何かある?

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

得るものがないとは言わない。でも、特に目新しい発見があったわけではなく、読み終わってみると、結局何だったんだろうという感じ。
著者は全編を通じて「まじめ」たれ、と説く。しかし、

自我の悩みの底を「まじめ」に掘って、掘って、掘り進んでいけば、その先にある、他者と出会える場所までたどりつけると思うのです。

と言われても、具体的にどうすればいいのか、ピンとこない。最終章になって、

若い人には大いに悩んでほしいと思います。そして、悩みつづけて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。

と言い出すのもよくわからない。何らかの悩みを抱える読者は、そんな自分を肯定し勇気づけてくれているという思いで読み進めて来たのに、最後の「横着たれ」で突き放されたような戸惑いを覚えるのではないだろうか。悩むことには、髑髏マークの革ジャンを着てハーレーダビッドソンにまたがろうという心境になるまで突き抜ける、その過程としての価値があるのではなく、そのこと自体に価値があるのではなかったか。
漱石がもし長生きをしていたら、著者が言うように「まじめ」を突き抜けて「横着」になっただろうか。老年を待たずとも、漱石の「まじめ」な人生の中には「遊び」の要素もたっぷりと見出せることは、今さら僕などが言う必要もないだろう。
…おっと、ベストセラーになるほどの軽い読み物相手に目くじら立てるというのもかっこ悪いな。