一期は夢よ、そりゃそうだけど

「狂い」のすすめ (集英社新書)

「狂い」のすすめ (集英社新書)

これはいわゆる「人生読本」の類の本です。
こういう本を手に取るというのは、自分を変えたいという気持ちがあるっていうことですね。
だから、読んで少しでも生き方や考え方が変わったというのでなければ、読まなくても同じだったということになります。
この本を読み終えたのは10日ほど前なんですが、その後自分の中に少しでも変化があっただろうか。振り返ってみても、読む前の自分と変わった部分があるようには思えません。
そりゃ、人間なんて、そんな簡単に変われるはずがありませんよね。「目的意識を持つな!」とか「希望を持つな!」とか言われてもね、「はいそうですか、ではそうします」といって本当にそれができるはずがありません。
でも、すぐに自分を変えることはできなくても、なるほど、そういう考え方もあるんだな、そんなふうに生きられたらいいかもしれないな、と思えることが書いてあれば、自分をちょっと離れた所から客観的に眺めることにもなるし、それは後々の変化のきっかけにはなるかもしれません。


たとえばこんな箇所。
ひろさちやは言います。――義務教育や公立の学校では制服をなくすべきだ。でも、そう思ったからと言って、制服反対運動などしてはいけない。

世間の常識――制服はいいものだといった常識――に楯突くのは危険です。よしたほうがよろしい。
ただ黙って、にやにや眺めているといいのです。
そして、心の中では、狂っている世間を軽蔑します。

さらに著者は、釈迦の教えを引き合いに出して、次のように続けます。

世間を捨てるのが仏教の本質です。世捨人なんです。この“世捨人”といった言葉、みずから積極的に「世を捨てた人」の意味ですが、読みようによっては「世から捨てられた人」とも読めます。どちらでもいいと思います。世を捨て、世から捨てられる。つまり、世間のほうから「狂者」の烙印を押され、相手にされなければそれでいいのです。なにも世間を相手に闘う必要はありません。

なるほどね。
本当は狂っているのは世の中なんだけど、その世の中から「狂者」の烙印を押されて、世間の軛(くびき)から自由になってのんびり生きればいい。これがひろさちやの“「狂い」のすすめ”なんです。
なるほどね。
少しは読んだ意味があったかな。
でも…


どうしたらそんなに達観できるようになるの?
知りたいのはそこん所なんだけど…