結核療養と俳句


前回書いた『日暮れ竹河岸』と一緒に借りた藤沢周平句集』を読んだ。
藤沢周平結核療養中に病院内の俳句会に誘われて俳句を作り始めるが、俳句作りに精を出した期間は短く、作品数も少ない。しかし、俳句への興味は続き、「一茶」という小説を書いたりもしている。この本には、そんな藤沢周平の句と、「一茶」執筆の経緯など、俳句にかかわる随筆が収められている。


眞夜も熱に覚むれば梅雨の音すなり
桐の花踏み葬列が通るなり
落葉無心に降るやチエホフ讀む窓に
石蹴りに飽けば春月昇りをり
夏の月遠き太鼓の澄むばかり



どの句にも病を抱えた者の憂愁が漂っているように感じてしまうが、もし結核療養中という予備知識なしで読んだら少し違った印象を持つのかもしれない。


ところで、山口耀久の「富士見高原の思い出」(『北八ツ彷徨』所収)を読むと、著者が結核療養のために入っていた富士見高原の療養所内にも句誌「白樺」というのがあったことがわかる。その句誌を編集していた友人が退院するとき、送別会をやることになるのだが、山口はそのとき「宴もたけなわになって、私は俳句は苦手だから、だれかが句会でもやろうと言いだしたら困るなと思っていた」と書いている。あれほどの文章家が俳句を作ったらどんなだっただろうと、ちょっと残念だ。
「富士見高原の思い出」は、山口が退院するとき、療養所の近くに住んでいて懇意にしてくれた尾崎喜八が美しい字で、


風花をよすがに今朝の別れかな


と書いた色紙を贈ってくれたという一節で結ばれる。