句集を背負って

新しい自転車で境川サイクリングロードを走ってこようと家を出ようとしたちょうどその時、松野苑子さんの句集『真水』が届いた。自転車には乗りたい、句集は読みたい。それで背中のバッグに句集も入れて出発。

川沿いの公園のベンチで読むという手もあったが、陽は傾いたとはいえ外はひどく蒸し暑いので、境川遊水地公園内にある情報センターのロビーで水分補給をしながら読むことにした。この施設はまだ新しのできれいで明るく、ほどほどに冷房も効いているので、本を読むにはなかなかいい環境だ。サイクリングの途中らしき人がちょっと休んでは出て行くけれど、僕はここでじっくり読書と決め込む。

松野苑子さんは「街」の句会でお会いして以来、僕にとっては「真似してみたい作家」の一人。伝統的な狭い枠にとらわれない伸びやかさを感じさせる句が多いのは、海外での生活経験のために広い視野をお持ちのせいなのだろうか。松野さんのホームページを開いて、新しい作品と出会うのは僕の楽しみの一つだった。


『真水』の中の、こんな作品に僕は魅かれた。

手袋が欠伸のやうに置かれあり
モーターボート海のファスナーぐんぐん開く

比喩というのは詩の代表的な技法なのに、俳句の世界では比喩があまり推奨されないのはなぜだろう。それにはそれなりの理由があるのだろうが、面白い比喩だったら俳句にも取り入れることに何の躊躇もいらないはずだ。

たぬきそばきつねうどんや新社員
四月一日皿洗機が蒸気噴く

どちらもなんとはなしに可笑しい。社員食堂での新入社員だろうか、いきなり天麩羅そばというのはためらいがあって、まずは安い「たぬき」「きつね」あたりから、ということだろう。食器洗い機はいつでも最後に蒸気を吐く。なのに「四月一日」というのが妙に説得力がある。

花の寺一重瞼の方が姉

俳句に描かれた女性の中で、これほど美しい女性がかつていただろうかと思う。もちろんこれは僕自身の好みということもあるけれども、僕にはこの「一重瞼」の姉に優る女性は思い出せない。ちょっと古風で上品で教養があって…こんな想像を膨らませたくなるのはやはり「花の寺」という季語の力なのだろう。…もちろん、妹の方も姉に似てなかなか素敵なのに違いない。

海の香やセーター脱ぐに目瞑りて

目を瞑った一瞬、視覚に代わって嗅覚が働く。海の香には春の気配が兆している。

鳴らしつつ緊めていく弦雪催
コントラバスに指駆け上がり青嵐

集中には弦楽器の他に、ピアノ、オルガンも登場する。いつか管楽器の登場する句も読んでみたいと思う。

真水―松野苑子句集

真水―松野苑子句集