大岡頌司の発見

 古本屋で大岡信『短歌・俳句の発見』という本を見つけて購入。
 この本に収められている「さかさ覗きの望遠鏡―大岡頌司の俳句」という文章を読んで、この大岡頌司という人の作品は、この春「週刊俳句」に掲載されて話題になっていた外山一機氏の上毛かるたのうた」によく似ていると思った。(この作品については、僕も「週俳」に駄文を寄せている。)

まだ銭に孔のある
ながきはかまの
歩幅の僧侶

風呂敷の
四隅の皺も
さとみやげ

火の見櫓は
影をつちかふ
影でござるか

といった、三行書きの作品。季語にとらわれず、時には定型をはみ出し、俗謡っぽさを色濃く漂わせている。
 「言葉というもののあやかしの虚々実々が跳梁している。」とか、「幼年への恋着と地霊への囁きの一人遊び」とかいう大岡信の評言は、「上毛かるたのうた」にも当てはまるのではないかと思った。おそらく両者の一致は偶然ではないだろう。外山一機氏自身がその点について語っているかもしれない。
 そこで念のため、久々に「週俳」を開いて確認してみると…
 なんと外山一機氏はネット上に『平成』という句集を発表し、その「あとがき」の中で『大岡頌司全句集』を読み返したことが「上毛かるたのうた」を作るきっかけになった旨を明らかにしているのだった。
 大岡頌司の「発見」は、俳句の世界の奥深さと幅広さを、あらためて思い知らせてくれた。僕は、大岡信が掲出している以外には、大岡頌司の作品を知らない。ぜひ覗いてみたい世界だと思った。

短歌・俳句の発見

短歌・俳句の発見