人生と哲学

『新折々のうた8』を読んだ。

新折々のうた (8) (岩波新書 新赤版 (983))

新折々のうた (8) (岩波新書 新赤版 (983))

  • 作者:大岡 信
  • 発売日: 2005/11/18
  • メディア: 新書
 

 『折々のうた』所載の作品は、おそらく短歌と俳句で9割程度を占めていて、短歌と俳句の割合はほぼ半々という印象。特に今回は短歌と俳句の違いを考えさせられる記載が多かった。

たとえば大岡信は解説の中で、「短歌と俳句の大きな違い」として、歌集のあとがきには年配者が自分の過去を振り返ったときの感慨をしるすことが多いのに対して、「不思議なことに」句集の場合はそれが滅多にないことを指摘している。(107㌻)

また、次のようにも述べている。

句集のあとがきには、その著者の実人生の細部が語られるよりは、言葉についての哲学的断想が語られていることが多く、歌集あとがきの人間臭さよりは哲学臭が目立つように思う。 (108㌻)

さらに、俳人鈴木鷹夫が、ほとんどの句集が「境涯の報告のような編年体」に編まれていることを疑問に思い、自らの句集『千年』を「四季別」に編んでいること、なぜなら俳句は一句一句が「創作」だからであると述べていることを紹介している。(93㌻)

一般的に、作者自身の「境涯」「実人生」と結びついた「感慨」が多く語られるのは短歌の方で、したがって作品を通して作者像が浮かび上がってくるのに対して、「もの」「こと」の写生を第一義とする俳句においては、対象はより客観化されてくる分だけ、「創作」の要素が強まり、作者の実像は可視化されにくいという傾向はあるかもしれない。もちろん、両者をそう単純に図式化できるものでもないだろうが。