詩人の俳句

mf-fagott2007-02-21わかりにくいかもしれませんが、右の画像は、帯をはずし、開いて写した本のカバーです。つまり、左側が表紙、右側が裏表紙ということですね。
奥付には「一九九一年十月二十日初版第一刷」とあります。ということは、これから書くことはおよそ15年ほど前のことになります。
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…何かの用があって東京に行った帰りに八重洲ブックセンターに寄ると、文芸書売り場の、それも詩歌のコーナーにしてはちょいと風変わりな装丁の本が平積みになっていたので、「ん?」と目につきました。『匙洗う人―清水哲男句集…。「清水哲男って、詩人じゃなかったかなあ。」
手にとって見ると、帯にはこんなことが書いてあります。

俳人宣言
本当は詩人になるはずじゃなかった。三十年前、句集を作るためのお金で、まちがって詩集を作ってしまった。詩人になったせいで、処女句集を出すのがとても遅れてしまった。でも、だから半世紀にわたるのっぴきならない生のアスペクトを色濃く、色鮮かにつめこんである。本邦初公開、三十年間待望の書。今日から詩人は俳人である。

「詩人の作った俳句か、面白そうだな…」
それで、中を開いてみると、一番最初の句が「ポケットにナイフ草の実はぜつづく」、そのあとにはこんな句が続いています。

山笑う生活保護を受けている
弟泣くぞ登校一里の坂の春
ともだちよ杉鉄砲に貧こめて

「1,800円か、薄っぺらい割りに安くはないなあ」と一瞬躊躇したものの、結局家でゆっくり読んでみたいという思いに押されて買ってしまったのです。ところが熱海行きの東海道線が川崎あたりまで来たところで全部読み終わってしまった…
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半分は想像で書いてしまいましたが、東京駅前の八重洲ブックセンターで買ったという記憶には間違いありません。実際、この本は八重洲ブックセンターのカバーに包まれたまま本箱の奥の方から出てきました。
ではなぜ今日、この本を引っ張り出してきて読む気になったのか。
実は昨晩、『俳句界』2月号の、いつもは読まない「編集後記に代えて」などという最後のページを読んでいたら、こんなことが書いてあったのです。

小誌「俳句界」は、俳壇におけるオピニオンリーダーをめざすことを宣言して、号を重ねてきましたが、振り返ってみると初期の目的には程遠い内容の積み重ねであったと自省しております。そこで、今回おもいきって編集部の刷新を図ることとしました。(中略)新編集長には詩人でH氏賞萩原朔太郎賞など数々の受賞歴があり、雑誌の編集者としても永年の経験をもつ清水哲男氏を迎えることにしました。…

これを読んで、そういえば昔、清水哲男の句集を買ったのが家にあるはずだなあと思い出したのです。
あらためて読んでみると、

旅の役者に銭などあるかよ燕来る
女教師の眉間の傷も夏めけり
愛されず冬の駱駝を見て帰る

など、叙情性やユーモアを湛えた印象的な句を多く収めたなかなかユニークな句集です。
『俳句界』は昨年11月号から買い始めたのですが(それ以前は角川の『俳句』を買っていました)、若干内容が薄くてもの足りないなあと感じていたのは事実です。でも「五月号あたりから徐々に清水カラーを誌面に反映していきたいと考えております」という言葉に期待して、しばらく買い続けてみようかと思います。

■追記(2/22)
清水哲男といえば、大切なことを思い出しました。
つい先ごろ、職場の同僚のtomtomさんが、「第一回えびな・いちご文学賞」の詩の部門で佳作を受賞。
この賞の審査員が清水哲男でしたね。
tomtomさん、あらためまして、おめでとうございます!