なるほど、「客観写生」とはこういうことだったか。

今日は午前中から二階のベランダのすのこの補修をやっていたのだけれど、日差しがあまりにも強いので、作業を中断。陽が傾くまで、最近読み終わったばかりの『生き方としての俳句』(岸本尚毅著)について書くことにする。

生き方としての俳句―句集鑑賞入門

生き方としての俳句―句集鑑賞入門

「あとがき」には、「本書は、虚子という大盤石を取り囲む巨石群のような俳人群を描写する試み」とある。「巨石群」とはいうものの、広く名を知られた俳人ばかりではない。しかし、著者による鑑賞を読むと、彼らが虚子の唱道する「客観写生」を忠実に実行し、いぶし銀のような光を放つ、あるいはどっしりと味わい深い句を残した、魅力的な俳人たちであったことが納得できる。
著者が称揚している俳人の中でも、特に最大級の賛辞を捧げている一人が軽部烏頭子(うとうし)。


まつはりし草の乾ける跣足かな
蟷螂の面ぬぐひては進むかな
今日とりて明日つむ苺なかりけり



などは、僕も好きな句。


いつよりの一つのキヤムプ湖ぎはに


については、

 キャンプ場にいち早く一つのテントが見えました。「一つのキヤムプ」の存在によって避暑の気分を読み手は存分に味わうことができます。
 …俳句で情景を説明されても読み手は面白くありません。中途半端な説明ではなく「いつよりの一つのキヤムプ」という呟くような言葉の方が読み手の想像を刺激するのです。
 …句の巧拙とは、短い形式の限られた情報量で、どれほど読み手の想像力を刺激し得るかにかかっています。
 虚子は選句について「措辞の上からは最も厳密に検討する」と言いました。(『玉藻』昭和二十七年十一月)。虚子は思想や材料よりも措辞を重視しました。烏頭子の句の美しさも、素材ではなく措辞の美しさです。秋桜子のいう「表現の極めて正確なこと」そして「調べの巧みさ」です。烏頭子の句の豊かさは、風景の要所を押さえた措辞が読み手の想像力を刺激することによるのです。

と述べ、最後は次のように結んでいる。

烏頭子は、真にすぐれた作品の作者として後世に読み伝えられるべき俳人の一人です。

その他、「もう一人の石鼎に出会ったような喜び」を与えてくれる高橋馬相、「平凡を恐れずに客観写生を守り通し」た五十嵐播水、「古びることのない艶消しの光」のある木村蕪城、「天才肌の俳人にはない、どっしりした味わい」の大橋桜坡子、「客観写生を通じて無常と向き合った」岡田耿陽など、この本を読まなかったら知らずに過ぎてしまったかもしれない俳人たちの魅力を教えてくれる。
どんな世界でも、新奇なものに耳目が集まるのは当然のことだが、この本のように地味な作品に光を当てて美点を見出していくことも、大切な仕事だと思う。

さて、ベランダ、涼しくなったかな…