連句の普遍性

超連句入門 (「超」入門シリーズ)

超連句入門 (「超」入門シリーズ)

浅沼撲の『可能性としての連句』と『中層連句宣言』を読んで大いに知的好奇心を刺激された僕が、もっと連句関係の本を読もうと思って最初に書店で見つけた本は、新潮選書の『連句のたのしみ』(高橋順子著)だったのですが、その後すぐにこの本の存在を知り、さっそく取り寄せてこちらを先に読んでみました。
もとより僕には著者のいうところの「連句人=レンキスト」になろうというつもりはありません。浅沼撲の二つの著作は、連句の持つ現代性、あるいは普遍性を探ることの面白さを教えてくれました。僕は今度の『「超」連句入門』にもそれを期待して読み始めたのです。著者は「まえがき」で、次のように書いています。

連句にかぎらず世の入門書にありがちな、箇条書きの紋切り型をなるべくさけ、読んで興のわく本をめざしました。…現代レンキストのための入門書的「読み物」として、ひとりでも多くの方々にこの本を楽しんで頂ければ幸いです。

読んでみると、なるほど著者のめざしたとおりの楽しい本に仕上がっていて、僕の期待は満足させられました。俳句、詩、小説はもちろんのこと、ジャズ、小津安二郎つげ義春…と、広範囲の表現領域をクロスオーバーさせながら連句の現代性を論じていくところが刺激的です。
さて、この本のキーワードの一つが「中層」という著者独得の用語です。連句では、句と句は「中層」においてつながるべきだと著者は言います。

この「中層」表現というのは、べつに新しい概念ではありません。つとに俳諧の付合では「匂い」とか「移り」などといわれてきましたし、連句の付合では「不即不離」とか「前句の根を切れ」などといわれています。それを「超」連句的に翻訳するならば、「中層」表現ということになるのです。

それにしても、前句に対して「論理」ではなく「匂い」とか「移り」とかでつながる句をつけるというのは、相当洗練された言語センスと膨大な言葉の蓄積が要求されるのではないでしょうか? しかし、「匂い」とか「移り」の中に「詩」の在り処があるのならば、文学であれ音楽であれ、芸術的な表現活動に携わろうとする者は、レンキストであることを避けては通れないのかもしれません。