- 出版社/メーカー: 文學の森
- 発売日: 2006/10/25
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花茣蓙の真ん中にゐる赤ん坊(滝山紅)
という句が特選に選ばれています。僕は「首出して湯の真中に受験生(長谷川双魚)」や「赤ん坊寒き書斎に来てをりぬ(岸本尚毅)」という同種の可笑しさを感じさせる句を思い出しながら、「花茣蓙の…」もまた華やいだ花見の一点景を素直にとらえた佳句だなと思いました。
ところが、選者の講評を読んでびっくり。
満開の桜の下に敷かれた花茣蓙の真ん中にいる赤ん坊。不気味で怖い。そこはこの世ともおもえぬ寂しい風が吹く異界だ。茣蓙の下には屍体が埋っている。御覧、赤ん坊は、はやくも老人の顔付きをしているではないか。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いて、病的と思われるほどの感性の鋭敏さを見せつけ読者を魅了したのは、梶井基次郎。齋藤慎爾の講評がこの梶井の有名な一節を踏まえていることは間違いありません。それにしても、俳句にはこういう大胆な鑑賞の仕方もあるのか…
前々回の記事の中で、塚崎幹夫の著書から「ジャンルや表現様式の約束に縛られてのいい残し」を「作者のより完全な意図にもどしてながめたほうが、作品は当然より興味深くなるであろう」という部分を引用しましたが、このような「もどし」方もあるというのが、俳句の面白さだと思います。
さて、齋藤慎爾の講評を読んだ後で、岸本尚毅の先ほどの「赤ん坊」の句を読み直してみましょう。
…職場から持ち帰った仕事を終えようとキーボードをたたく男の背後にいつのまにか這い寄って来ているのは、もう既に大人の顔つきをした赤ん坊。その顔が男の血をひいているのは疑いようがなく、何とも不敵な笑みを浮かべつつ自分の父親の後姿を…