ひらがなの効用

俳句界 2008年 08月号 [雑誌]

俳句界 2008年 08月号 [雑誌]

『俳句界』8月号の、鈴木しづ子を取り上げた「魅惑の俳人たち」は面白かった。「ちょっとなあ…」と首をかしげたくなる文章もありましたが、僕が感じたほぼそのままを、『週刊俳句』でさいばら天気氏が的確に指摘してくれています。僕には文章力不足(と度胸不足)のために書けないようなことを、しっかり書いていただいたという感じです。ぜひお読みください。


さて、「しづ子句セレクション」は僕にとってほとんど初めての句ばかりで興味深かったのですが、その中に


黒人と踊る手さきやさくら散る


という句があります。気になったのは、同じ句が、堀本吟氏の文章中では


黒人と踊る手先や桜散る


となっていることです。これは二通りの書き方が残っているということでしょうか。細かいことのようですが、この二つはずいぶん印象が違います。「手さきやさくら散る」の方が、明るく歯切れの良い「sak」音の繰り返しが視覚的にも明確に感受されて、そのリズムが踊り手の心の弾みを生き生きと伝えます。おそらくこちらが正しいのでしょう。
表記の点に注目してみると、しづ子の句には平仮名を意図的に使ったものがかなり多いように感じられます。


いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり
ちりそむる桜よみやこさかるなり
あきのあめ衿の黒子をいはれけり
まぐはひのしづかなるあめ居とりまく



これらの句を眺めていると、平仮名は、特に「あきのあめ」「まぐはひの」のようなセクシャルな句においては、その意味性を薄め、代わりに歌謡性を付与することによって、句を個別的な体験からひき離し、より普遍的な域へと高める働きを担っているように見えます。平仮名の持つこうした表現効果に対して、しづ子は実はかなり意識的だったのではないでしょうか。