塾長の言葉について熟考してみる。

今日、「朝日新聞」の連載コラム「炎の作文塾」で、高校三年生の文章を俎上にのせて次のように言っている一節があるのを見つけて、考えてしまいました。

ものごとを論じ、しかも読ませる文章に仕立てるのは、プロの文章家のすること。天才でもないかぎり、学生や素人はやめたほうがいい。
 文章とは、君にしか書けないことを書くもの。考えたり、思ったりしたことではなく、何をしたのかを書くことだ。(塾長・川村二郎)

塾長が言うように、「物事を論ずるのが文章だ」というのが「誤解」なのだとしたら、そもそも学生に対して「…について論じなさい」「…についてあなたの考えを述べなさい」などという課題を与えること自体が誤りだということになってしまいます。
自分にしか書けない自分だけの経験に基づいて書かれたもののほうが文章としての価値が出てくるのはもちろんで、僕も生徒に対しては「自分の具体的経験を踏まえて書くこと」を繰り返し指導しています。それでも高校生の文章はステレオタイプに陥りがちで、読むのが苦痛になることは毎度のことです。
しかし、出てくる意見は平凡でも、それを自分なりに文章にまとめてみることは、生徒にとって有意義な経験なのではないでしょうか。
…などと考えているうちに、今日の新聞が昨日の新聞になってしまいました…