「なので」なのだ。

このところ若い人が「なので」という言葉を接続詞的に使うことが急に多くなったと感じています。たとえば、

「僕は将来英語を生かした職業に就きたいと思っています。なので、貴校の英語専攻コースを志望しました。」

「今のままでは地球環境は悪くなる一方です。なので、私達は物を買うとき本当に必要かどうか判断することが大切です。」

という具合です。このような言い方は、ちょっと前まではほとんど耳にしなかったのではないでしょうか。僕は言葉に関しては保守的な人間でありまして(仕事柄ということもあるけど)、このような耳慣れない表現が気になって仕方がないのです。
手近にある辞書をいくつかあたってみましたが、「なので」を項目として採用している辞書は見つかりませんでした。『日本国語大辞典』(縮刷版、昭和55年発行)の「なのだ」の項には次のような説明が見られます。

説明し言い聞かせる意を表わす。話しことばでは「なんだ」となることが多い。「だ」の活用に応じて、「なのだろう」「なのだった」などの形でも用いる。「なので」「なのに」は、接続助詞的な用法が主である。

「接続詞的用法」ではなく「接続助詞的用法」ということですから、「春なのに涙が出て来ちゃう」「もう歳なので無理はできない」のように、あくまでも文中に用いられることを言っているのです。ところが、「なのに」の方は『日本国語大辞典』では接続詞として項目を立てているのです。

な-のに《接続》(「それなのに」の「それ」が省略されたもの)前の事柄に対し、後の事柄が反対・対立の関係にあることを示す。それなのに。だのに。「よく寝た。なのに眠い」

「なのに」を項目としている辞書はほかにもあり、同様の説明を載せています。「なのに」と「なので」の違いは逆接か順接かの違いでしかないのですから、「なのに」に続いて「なので」が接続詞的に使われるようになるのは、必然的な流れなのかもしれません。「なので」もいつかは接続詞として認知され、辞書にも採用される日が来るのではないでしょうか。
(ところで今思い出しましたが、「なのにあなたは京都へ行くの? 京都の町はそれほどいいの?」っていう歌、むかし誰かが歌ってましたよね。)