新しい学校文法

曲り角の日本語 (岩波新書)

曲り角の日本語 (岩波新書)

この本は、次のような人におススメ。

《1》こんな話題に興味がある方…

セールスの電話で「水谷さんのお宅でよろしかったでしょうか」には驚かなくなっていても、何と、「水谷さんのお宅で大丈夫ですか」。どこかのマニュアルにそう定めてあるのかしら。もしそうなら、変化の速度が目まぐるしい。まるで流行を追いでもするようだ。日本語が(節度も無しに)こうまで、なぜ変わるかを考えなければなるまい。

《2》こんな調子で「権威」に楯突くのがお好きな方…

敬語の乱れというのは文部科学省的な言い方で、私は敬語が乱れているのではない、そもそも「敬語」という言い方自体に勘違いがあると言いたいんです。昔の国語審議会―私は日本語のためにああいうものがあったことが、非常に不幸だったと思います。あそこで決めたことが、日本語を駄目にした。それが文化審議会になって、またぞろ同じ調子で敬語をいじくっています。

《3》国語の先生をへこませてやりたいなどと考えている高校生…

 そんな人は、102ページからの「学校文法がダメなわけ」をぜひ読んで下さい。先生は、文法の基本として、品詞の種類の説明をするでしょう。先生が「日本語の単語のうち、自立語で活用せず、主語になるものを名詞と言います。」と言ったら、すかさず「先生! 主語にならない名詞もたくさんあります」と言って、「考え物」「手塩」「普通」などの例を挙げてみてください。これらを主語とした「考え物が○○」「手塩が○○」「普通が○○」という言いかたはできませんね。きっと先生は言葉に詰まり、あなたに一目置くようになるでしょう。
 そして僕は、そんな勉強家のあなたに、もっともっと勉強してもらって、立派な文法学者になって欲しいと思います。「学校文法」はずっとダメだと言われ続けながら、それに代わる文法が現れず、いまだに学校で教えられ続けているのです。ざまざまなものが進歩している中で、どうして「学校文法」は進歩がないのか、不思議です。ぜひとも説得力のある「新しい学校文法」を、どなたか生み出してください!

☆この記事を書き終わって、気がついた。僕は3年前にこの本を読んで、このブログに記事を書いていた。そこでも「学校文法」のことを書いている。そのことを全く思い出さずに、同じ本をまた読んでいたのだ。本棚を探してみてら、ちゃんと同じ本がもう一冊出てきた。こういうことは初めてではないが、やはりちょっとショックだ。本を読んで知った内容が、頭の中に全く蓄積されていないということだ。やんなっちゃう…