後ろ向きの情念

現代文の教科書に載っている沢野ひとしの「初恋の人にあげた本」は、やってみると意外と教材として使えるのだった。そこで読んでみたのがこの本。「初恋の…」はこの中の一篇。

転校生 (角川文庫)

転校生 (角川文庫)

僕はこの本を読みながら、なんとなく井伏鱒二を思い出してしまった。井伏の初期短編の特徴といえば、ロマンティシズムとペーソスだと思う。それにユーモアを加えてもいいのだろうけれど、井伏のユーモアというのはペーソスの中から自然に染み出てくるようなものだ。(ちなみに、井伏の「文豪」への歩みは、ロマンティシズムとペーソスの世界からの決別でもあった。正直言うと、僕にはその点が不満だ。僕は井伏に初期の短編のような作品をもっともっと書いてほしかったと思っている。)
ところで、椎名誠の「解説」を読んでいたら、沢野ひとしの初期エッセイの「共通テーマ」は「ロマンティシズムとペーソス」だと書いているのだった。やっぱり沢野ひとしを読みながら文豪井伏を思い出すというのも、決して突飛なことではないのであった。
でも、本当のことを言うと、二人の作品から漂ってくるものを「ロマンティシズムとペーソス」という言葉で片づけてしまうのは、まだ大切な何かを掬いきれていないことになるようにも思うのだ。では、それをどういうふうに説明すればいいのか。
倦怠、屈託、諦観…こんな言葉も井伏を語るときに使われる言葉だけれど、沢野ひとしの作品の登場人物たちも、時にそんな雰囲気を漂わせる。若い時にとらわれがちな、後ろ向きの情念とでも呼びたいものを。それは、青春にとって、普遍的な心情かもしれない。