見えない対岸

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

言語表現法講義 (岩波テキストブックス)

加藤典洋は、最後の方でこんなことを言っている。

僕はいままで、いろんなことを話してきました。でも、これらはすべてワン・オブ・ゼムです。どうしてもこれを守らなきゃ、ということじゃない。むしろ一度これを忘れて下さい。(p233)

残念ながら、「忘れて下さい」と言われなくても僕は読んだ本の中身をすぐ忘れてしまう。初めて読む本だと思いながら読んでいて、読み終わってから確認したら一年前に読んだ本だった、ということもある。読んだ本の中身を少しでも頭の中に定着させたいというのが、このブログを始めた目的の一つだったけれど、読んだことが少しも自分の中で蓄積していないような気がするのは、相変わらずだ。(蓄積しないのは、「読んだこと」だけじゃないけど。)
それでも、この本の中に何度か出てくる岩登りのたとえは、記憶に残りそうだ。それはフィクションについて語るなかでもこんなふうに出てくる。

フィクションは、書き手が崖の上にいる自分を消して、自らの話の主人公になって、下からのロープではい上がってくる仕方、自分を自分から切り離し、それを可能にする仕方なのです。(p216)

「それを可能にする」の「それ」は、引用部より前の部分を指しているようにも取れるので、ここだけ読んでもなんだかわかりにくいでしょうが、とにかくこの岩登りの比喩は、フィクションというものの効用を実にうまく表現している。
書き手がロープで話を引き上げるよりも、語り手と切り離された語り手自身がハーケンを打って崖を登った方が、話の行きつく先の定まらない自由と自分で岩肌をよじ登っているという手ごたえが味わえるだろう。
これは、書くことは、考えたことを表現するのではなく、書くことがすなわち考えることなのだという、冒頭での主張とも符合するし、「最後に」で言っている「見えない対岸にむかって橋をかけるしかた」(これも見事な比喩だ!)というのとも重なる。
僕はウーンと唸りながら読んだこの本の大部分の内容をやっぱり忘れてしまいそうだけど、岩登りの比喩のことはしばらく頭から離れないだろう。授業のやり方もこの本の影響を受けて少し変わりそうな気がする。