考える日本史

日本の行く道 (集英社新書 423C)

日本の行く道 (集英社新書 423C)

橋本治の思考のスタート地点は「今の日本はどこかおかしい」で、そこから「なにがおかしいのか?」「どうおかしいのか?」を経て、その「原因」をはっきりさせようという方向に向かっていきます。「原因」がわかれば「その対処法」も見えてくるはずだと言います。
一つは「いじめ」の問題。橋本治は、子供たちを自殺に追い込むほどの陰湿ないじめの根っこがどこにあるのかを探るために思考を積み重ねます。橋本治の出した結論はこうです。――日本は豊かになり、1970年代から今に至るまで、子供たちはあんまり勉強しなくてもいいという状況が続いている。それなのに子供には学校に行って勉強しなければいけないというプレッシャーがかかる。

「勉強しなくてもいいのに、なんで学校に行かなきゃいけないの?」という思いは、子供達の中に簡単に生まれるでしょう。「行かなくていいのに、なんで行かなきゃいけないの?」というエネルギーの不完全燃焼が、「学級崩壊」を実現させ、「陰湿ないじめへの熱中」というへんな事態を生むのです――私には、そうとしか考えられません。

橋本治流の考え方では、いじめは「勉強からのプレッシャー」ではなくて、「そんなに勉強しなくてもいい」という「弛緩」によって生まれたということになるのです。面白いのは、この結論に至るまでの、橋本治の思考の過程です。この面白さを味わうには、実際にこの本を読んでもらうしかありません。
さて、もう一つの問題は「地球温暖化」。橋本治の考える対処法は、「世界を1960年代の前半に戻せばいい」です。この考え方自体は独創的なものとは言えないでしょう。たとえば原発反対派に向けられる批判が、「お前は50年前の不便な暮らしに戻る覚悟があるのか」というようなものだったりするように、環境問題をめぐる議論の中では、時計を反対に回すというのはむしろありふれた発想です。
橋本治の文章のユニークな点は、結論部分ではなく、その結論に至るまでの考えの道筋にあるのです。だから、やっぱりこの本の面白さを短く要約して伝えるというのは不可能です。興味がある人は読んでみてください、そして橋本治の思考の道筋をたどってみてください。


ところで、この本を読みながら気づいたことは、、橋本治がものを考えるための材料は実はとても少ないということです。誰でも知っているありふれた材料だけで、人があまり考えないようなことを考えてしまう、というのがこの人の真骨頂なのではないかと思うのです。
この本は全体としては「橋本版近現代日本史」とでも言うべき内容ですが、出てくる歴史的事項というのが、「工場制手工業」「薩英戦争」「ベビーブーム」というような、歴史の苦手な僕でも知っているようなごくごく基本的なものに限られているのです。それらの重要基本事項が、橋本版日本史の中に位置づけられると、俄然、新鮮な意味やら価値やらを帯び始めるようなのです。それらは〈考える〉ことから生まれてきたのであって、〈暗記する〉という姿勢からは絶対に生まれてこないものです。社会科というのも、このように考え始めればとことん〈考える〉科目であることが可能なのだなあと、つくづく思った次第であります。