「現代文」の授業で三浦哲郎の「めちろ」という短編を読みました。味わい深い佳品です。
それで『短篇集モザイク1 みちづれ』(新潮文庫)を読んでみました。
- 作者: 三浦哲郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/12
- メディア: 文庫
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長大な作品よりも隅々にまで目配りのできる短いものの方が自分の性に合っている
と言っているけれど、実際そのとおりで、三浦哲郎の短編小説には、スキがありません。見事な出だしで読者をいきなり作品世界に引き込み、余韻を残してすっと終わります。
一つだけ、作品の冒頭を挙げておきましょう。
夜ふけて、家族が寝静まると、家のどこかが微かに軋みはじめる。
あるときは、貧乏ゆすりのように小刻みに。あるときは、胡弓でも弾くように長く尾を引いて。(「すみか」より)
ほら、もう先を読みたくなったでしょう。
三浦哲郎は、読者に「なんだろう」という疑問を持たせることで読者を引きつけておく、というワザが得意です。授業で読んだ「めちろ」、それから今回読んだ中では「みちづれ」「とんかつ」などにもその得意ワザが使われています。
三浦哲郎の作品のうまさとして、その終わり方の見事さも指摘しておきたいと思います。三浦哲郎は、もう少し先を読みたい、というところで話をさっと切り上げます。たとえば「オーリョ・デ・ボーイ」。野球部長の杉野は、はたして甲子園という晴れの舞台のシートノックで、キャッチャーフライを打ち上げることができるのか。杉野に重圧がのしかかり、読者の緊張が一番高まったことろで、作品は次のように終わってしまいます。
杉野は、蔵に促されて、ノックバットを引きずるようにしながらふらふらと眩しいグラウンドへ出ていった。
この後どういう結末が待っているのか、一切は読者の想像にゆだねられてしまうのです。作者を恨みたくもなるところですが、短編小説としては、これ以上の終わり方はないでしょう。見事です。
三浦哲郎の短編のよさは、そんな技巧の冴えに支えられていることは確かです。しかし作品の魅力はそれだけではありません。
三浦哲郎の小説に登場する人物は、作者の暖かい人物観察によって生み出されているからでしょうか、読者の深い共感を誘います。小説のちょっとしたひとコマから、彼らの心のひだが浮かび上がってくるのです。読者は彼らの不安や悲しみや憎しみや、そんなさまざまな感情に寄り添うように、小説世界に心を遊ばせることになるのです。
「おさきに……。」
老婦人のまなざしには、みちづれを見るような親しみが感じられた。(「みちづれ」より)
われわれ読み手もまた、小説の中に現れては消えていく人々に対して、愛すべき「みちづれ」として親しみを覚えずにはいられないでしょう。
※授業で読んだ「めちろ」を収めているのは、『短篇集モザイク3 わくらば』です。
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